自然の中に生かされている

今朝、6時、まだ夜の空ききれない東の空は、月がそして明けの明星(金星)が輝いて日の出のまえの一日(1月29日)の幕開けに相応しい。暗から明へのグラデーションにしばし目を奪われてしまい、感動さえ覚えました。

そして想いました。

人は感動することによって生きることの力になるのだと思えました。大自然の中に生かされているのだ。人は誰でも、自分の力で生きていると思っています。

生老病死・・・自分の意思で自在に思い通りならない。自分の意志に関係なく、自分の体の細胞は新しくうまれ、また死んでいきます。いつまでも若くありたいと思うけれど、年々老けていくのです。

病も自力ではなかなか治癒できない、死はやがておとずれる。すなわち生かされているということです。人は生かされているから、寝ている時にも臓器は動いている。自分の意思にかかわらず腹もすくし、爪も毛も伸びる。

そしてだれ一人として一人では生きていけません。さまざまなつながりにおいて生きていけるのです。生かされている、他に支えられていると思えばよいのですが、自分の意思のおもむくままに生きようとするから、欲が頭をもたげ、それが悩み苦しみにつながる。

この世の中は何もかもが何らかの関連を以て存在しています。自然界では食物連鎖ですべての生きものの命がつながって、お互いに命を支えあって、生息しています。

海の魚は陸上の植物と命の支えあいにおいて無関係でない、すなわち一つの命は他を生かし、他の命によって生かされている、これがこの世の姿でしょう。

ものごとは何らかの原因による結果としてその存在がある。この因果の道理はものごとの存在の根本です。したがって悪循環を断ち切り、善循環おこすべきです。他を生かす利他行こそ己を救う。「利他」あるいは「利行」これが善循環をもたらす幸せのキーワードです。


この世に存在するものはすべて常に同じでなく変化しつづけており、生まれたものは必ず滅していく。人生が一瞬の儚いものであるからこそ、ぼーとして日おくりをしていると、すぐに老いてしまう。