知らずに犯した罪は大きい

世間を騒がせることって、常識を逸脱した行為であるが、その常識というのは個人の価値観の違いで、いいと思って、した行為が間違っていたことに気がつかない。

だから、まったく悪いことをしたと思っていない事件がある。それは三人の男を次々自殺に見せかけて殺してしまった練炭殺人事件である。

殺人罪などに問われた木嶋佳苗被告の裁判員裁判で、さいたま地裁は求刑通り死刑を言い渡した。検察側の主張を全面的に認めた判決である。

動機については、「虚飾に満ちた生活を維持するため、被害者から多額の金を受け取り、返済を免れるため犯行に及んだ」と断じた。

直接証拠がなく、間接証拠でどう判断するかが焦点だった。過去最長の100日間も裁判員を務めた市民が直面した苦渋の選択だ。

三人の男性を殺害したという直接証拠は存在しない。目撃証言も自白もない。別れ話が原因の自殺と事故死だ」とも主張した。しかし、遺体発見現場で練炭練炭こんろがあったり、遺体から大量の睡眠薬が検出されていたり共通している。そして被告は三人と死亡直前まで会っていたことなどで同じである。

三人と結婚サイトで知り合い、多額の金などを受け取っていた。果たして木嶋被告が三人を殺害したかどうかの核心部分とどう結び付くのか。裁判員らは100日間、難問に苦闘したに違いない。

まず三人とも自殺の動機がなかった、練炭などを入手していたのは、木嶋被告であり、犯人は被告だとの結論に達したのだ。動機について「結婚するように装い、受け取った金の返済を免れるため」など結論づけた。

物的証拠が不足と言う問題はあるにしても、社会常識に照らして、被告が犯人であることに合理的な疑いを差し挟む余地がないと判断したことだ。

被告の悪いことをしたとの反省はないと言うことは、これまで(37年)生きてきた環境が問題で、判決を受けて、ようやっと罪の重さを知ったことだと思う。

知らなかったと、知っていたとでは、知らなかったで犯した罪は重い。人生は一度きりだから、自分の好きなことを好きなようにすればよいのだと、考える人が増えている。

自分の欲望を満たすためには、人に迷惑をかけても平気という精神状態である。世の中の指導者と云われる人の責任の取り方もまた、「自分は知らなかった。自分は悪くなかった」と公然と他の人の責任にして、責任回避をする人が多くなっている。

これらは、みな「人間なるものの実体」の確立喪失した状態である。「人間」そのものの把握が間違っているのである。