人間は考える葦である

人間って一生懸命生きようとすればするほど悩み、衣食住そこそこ足りて、息さえできれば生きていられます。何事も深く考えなければ、悩む事もありません。

しかし、「自分さえよければ・・・」の考えで生きたくありません。そして「ひとりでは生きられません、他人のお陰で生きられます。」このことは大切にして、生きたい思います。

悩むっていう事はちゃんと生きてるっていう証なのかも知れません・・・そして、地球上の生き物の中で、死を知っている人間だけです。思い出すのは「パスカル」の言葉です。

「人間は悩める葦である」とは・・・フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。

賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。

自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。・・・このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えます。