歴史に名を残す

「身銭を切る」「良薬は口苦がし」という言葉があります。また「チャンスは、与えられるものではなく、自分で作るもの」です。

宝くじに大当たりしたり・まぐれ・偶然で、その地位や、お金持ちになったりする人がいます。現代人は、余り苦労しないで、大きなものが手に入る?と勘違いしている人間が多くなったと思われます。

また、苦学して研鑽するという、自分に厳しさを科さない人間が多くなっています。例えば、日本では難関といわれています。東京大学に入学?・・・幼稚園から、英才教育?で、お金を賭けて、有名な熟などに通わせて、高校まで親の敷いたレールを走る。生活が貧しければ、熟にも行かすことが出来ない。苦学してはなかなか無理でのようです。

そこに現在問題になっている、格差社会が現れてしまうのだと思います。過去には、田中角栄氏が総理大臣なったこともありますが、これからの日本で、中卒や高卒で、総理大臣になるようなことは、本当に難しいでしょう。

お金を賭けて、エリートに上りつめた人たちは、人間性に乏しいといわれ人が多いと聞きます。本当の辛さを我慢・他人に対する思いやりなどがなく・自己中心など人が多いのではと思います。

そして、今の政治家は、本当に日本国民を思って政治をしているかと思えない人がいるようで仕方がない。何か利権にばかり気を使っている人がいることが多いと思わざるを得ません。

12月には、衆議院総選挙があります。その才能を国家国民のために心血を注いでくれる人を選択していくことが、大変大事なことと思いますが・・・なにか歴史にその名を残すような人が現れて欲しいものです。

日本人にも過去には、立派な政治家はいました。私は、「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」有名な上杉鷹山です。

2007年(平成19年)に『讀賣新聞』が日本の自治体首長に対して行ったアンケートでも、理想のリーダーとして上杉鷹山が1位に挙げられているそうです。

そして、保科正之です。逆境を乗り越え、21歳の時、高遠藩三万石の藩主となりました。領民からも慕われていた保科正之は、将軍の弟であることを殆ど態度に表すことはしませんでした。

家光に人格を認められた保科正之は26歳にして最上山形二十万石を与えられ、高遠から多くの家臣を連れて山形へ移ります。ここから政治家としての本領発揮となるわけですが、自分を育ててくれた高遠保科家の重臣たちが手足となって正之を助けます。

最初の仕事は洪水や凶作などで苦しむ領民を救うことでした。この頃から幕政に参画するようになり、武家諸法度改定にも一役担いました。

数々の社会政策を制定し、領民を慈しみ、親や子供を大切にして暮らせる世の育成を目指していました。保科正之は二代将軍の異腹の子として、出世の道を突き進んだように見えますが、実はその人生は苦難の連続でした。