日本人の美意識

東洋大学朝日新聞digitalの記事をみて、新年早々感銘を受けたので記してみました。世の中はグローバル化し、時代は移り変わっていますが、古来から優れた日本人の「美意識の精神」を後世に繋げて行きたいものです。

ドナルド・キーン氏特別講義 世界から求められる日本の美意識」

日本文学の研究者として名高いドナルド・キーン氏は、東洋大学の学術顧問、および名誉博士でもある。キーン氏が若者たちへ向けて行った東洋大学での特別講義から、国際社会での活躍を目指す学生たちへの応援メッセージをまとめた。

私が初めて日本を訪れたのは、昭和28(1953)年のことでしたが、現在の日本はそのころとは様変わりしました。和服を着る人は少なくなり、日本家屋も減ってマンションに住む人が増えました。今、初めて日本を訪れる欧米人は、自国とそれほど違わないと感じるでしょう。

しかし、変わらないものもあります。それは日本人が持つ美意識です。古代ギリシャ人は大理石で神殿を造りました。彼らは永遠の美、すなわち不変の美を求めたのです。しかし、日本は時とともに訪れる変化を受け入れてきました。

日本人が桜を愛でるのは、そこに無常観を見いだしているからです。もし、永遠に花が散らなかったら、美しさを感じないだろうし、つまらなくなる。花の持つ命の短さが、美しさに気づかせてくれるということをこの国の人々は知っているのです。

また、日本人ははっきりとした美の定義よりも、受け取る人々それぞれの美意識に判断をゆだねるところがあります。私が研究している「源氏物語」の冒頭は、「いづれのおんときにか(いつだったかわからないが)」と、不明瞭な書き出しで始まります。

このような曖昧な表現の冒頭は、ほかの国の小説には存在しない。このことがやがて、不完全を許容できる日本文化になっていきます。

「優れた美意識を生む日本人の倫理観」

さらに日本人は、その生涯を通じて神道、仏教、儒教と異なる三つの宗教のなかで生きます。子どもが生まれたらお宮参りをし、教育は儒教の精神を重んじ、死後は仏教式の葬儀を行う。

これは、異なる価値観を認め、合理的というよりは情緒的に人と関わり合う日本人の倫理観であり、それらが優れた美意識につながっているのです。

この日本独特の美意識を発展させたら、世界に貢献できることは限りなくあるはずです。そして、世界もそれを求めています。日本のなかには、もっとモダンなものを欲しがる人がいるかもしれない。しかし、古い文化を知らなければ肯定も否定もできません。

日本には、「万葉集」の時代からの素晴らしい文化が存在し続けています。大学生のうちに、それら多くの日本の文化や文学に触れるべきだと思います。

【注釈】 2011年9月16日に行われた東洋大学特別講義「現代のグローバル化社会における日本の伝統文化・思想の意義について」から