平凡を目指して

凡庸(平凡で何もとり得のないこと)な、私達は天才(生まれつき備わっている、並み外れてすぐれた才能)に憧れますが、天才は天才なりに想像以上の苦しみとともに生きていかなければならないのかもしれません。

凡庸→平凡は非凡で→立派なことだと思います。天才は生まれつき備わった能力というが、人並み以上の、努力して才能を伸ばしているのです。

人間、万能な人はいません。野球馬鹿・釣り馬鹿・桂春団冶の将棋馬鹿などといわれる、何か一つ秀でた才能がある人は、これまで多く先人達がいます。全てのことで非のうちどころない人間なって存在しないと思います。影で、普通の人何倍も、訓練(トレーニング)を、人知れず行っているのです。

そして、チャンスを狙い、まさに「得手に帆上げ」です。→得手に帆を揚げるとは、絶好の機会が到来し、それを利用して、はりきって行動を起こすことです。

一般的には、嫌いな人や人間的にどうかなと思う人が意外と成功したり、自分より才能を持っていたりするのは本当に悔しいものですが、その裏にはきっと見えない苦しみがあるのかもしれません。

多くを望むことも時には大事ですが、基本的には、少しの幸せと少しの才能と少しの恵が一番バランスがいいのかもしれません。欲望や嗜好に溺れ過ぎると身を滅ぼしますから、自分のペースで程ほどに頑張りたいものです。

アインシュタインの言葉に「成功した人間になろうとするな。むしろ、価値のある人間になろうとせよ」があります。

私は、何のとり得もありません、これから、「平凡を目指して」心がけ、生きたいと思います。