人生の句読点

東京地方の桜は例年より十日の早いと言う。寒かった日が続いた二月でしたが三月に入って、夏日が二日もあり一気に、気温の上昇した日が続きました。片倉城址公園の桜の下では何組かのグループが輪になって酒宴を開いていました。

ウグイスの鳴き声が聞こえ、公園内の流れる水も増えて、水車の回る早さも力強くなりました。冬から春への季節の移り変わりは多少の違いはあるものの、間違いなく、巡り回っていることを感じさせられます。

人は、季節に心身を同調させることが上手に出来ないで、悩む人がいます。昔から、木の芽時が“うつ”になる、いわゆる精神疾患にかかる人が多くなるという。

学校の卒業式が終って、新たに進級・入学・社会人になり人の別れ・出会いのドラマとなるのです。そして長年勤め、退職する人もいます。まさしく、人生の句読点です。

しかし、考えて見ますと、人は誰でも孤独です。愛する人がいる、頼れる人がある、信頼できるパートナーがいる、家族がいるからといっても、所詮、人は誰でも自分一人だけ、一人ぼっちです。

愛と希望があれば人は生きていけるというけれど、自分で自分を見失ってしまいそうな時がありませんか、幸せな人生を生きる道標として、何をよりどころとして生きていけばよいのか、進むべき方向さえも見つけられずに、不安な日々を過ごすこともあるでしょう。

人は何が幸せであり、どのような時に幸せだと感じるのでしょうか。はっきりいえることは、だれでも絶対に死ぬということです。だから自分が生き甲斐を感じる時が幸せで、人はその生きがいを死ぬまで、求め続けることが大切なことだと思います。