時間(とき)の流れ
年をとったせいか…時の経つのが早く感じられて仕方がないです。
アッという間に…一日…一週間…一ヶ月…一年です。スケジュールで一杯の人……そして毎日が何もすることがなく、朝起きてさーて、今日は何をして過ごそうか、考える人もいるでしょう。「時は金なり」で、一日を有意義に使いたいものです。
西洋に伝わるナゾナゾです。
「一本の木に十二の枝
どの枝にも四つの巣
どの巣にも七つの卵があります」
さーて、この木はなんでしょう?
答えは「年」で、十二の枝が「月」、四つの巣が「週」、七つの卵が「日」だそうです。
このナゾナゾの深く意図するところは一日を卵にたとえていることです。卵は壊れやすく、腐りやすいものです。だからこそ大切に扱わなければいけません。一日も同じです。
しかし、自分を振り返るとどうでしょうか?私自身、昨年は卵をいくつ壊したでしょうか、たぶん数え切れないほどの卵を壊し腐らして、日々を無駄に過ごしたかもしれません。
私たちは時計を使って時間を計りますが、心理的な時間は必ずしも時計の時間とは一致しません。
楽しいことをしているときは、瞬く間に時間が経ちますが、嫌なことや、また病気などで辛く苦しいときには、一分が一時間にも感じられるものです。
さらに、年を取るほどに一日が短くなっていくことは多くの人が感じていることでしょう。私たちの感じる時間の流れは人によって千差万別です。
充実した一日に…
日々の生活でも、昨日の続きは今日であり、今日の続きは明日であります。一日の生活を振り返って、明日は、今日より充実した一日にしたい…と考えなければと思います。
「果報は寝て待て」では、童謡にあるように「待ちぼうけ」のようになってしまうと思います。日々の生活を充実・満足させるためには、やはり目標を決め、そこにいたる計画をしっかりと見つめてこそ、「充実した日々」があることになります。
一日の生活の中に自分自身にノルマを課す。それを続けるために、一日、一週間、一ヶ月、一年間の目標に対する計画を立てる…
時間を使うのは他でもない自分自身であります。主体をどこに置くか?今年一年を、時間に使われるのではなく、その時間を使い切る毎日でありたいと思います。