幸福とは・・・

考えさせられる「幸福」とは…

「世界で最も貧しい大統領」として知られる南米ウルグアイホセ・ムヒカ前大統領(80)が5日、初来日しました。

ムヒカ前大統領の言葉…

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」

「発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと…これらをもたらすべきなのです。

「人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。そのお金を貯めるための人生の裂いた時間で買っているのですよ。。。」

ムヒカ氏は昨年退任するまで5年間、大統領公邸に住まず、給与の9割を貧しい人々のために寄付し、月額1000ドル(約12万円)ほどで生活した。80年代から今に至るまで、首都郊外の農場で質素な暮らしを続けている。(日刊現代

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私たちの歩んできた道は正しかったのでしょうか

日本社会は、より効率的に、より速く、より多く、より便利に、の一辺倒でまっしぐらに歩んできました。その結果、今日の繁栄を勝ち取り、生活の利便性が高まるとともに多くのモノを手に入れることが出来ました。これは喜ぶべきことであり、先人たちの努力の結晶であるわけです。

しかし、一方で、家には入らないくらいのモノが溢れ、会食等ではたくさんの食べ物を残飯として廃棄しています。また、気の遠くなるような長い時間によってつくられた石油などの資源を一夜で使い尽くし、その上に私たちの豊かな生活が成り立っています。

自己中心的な考えから抜け出る

「モノ」だけではありません。東日本大震災では、世界中から称賛された助け合いの精神は、私たちの日常に生きているでしょうか。

自分だけ良ければ、とした考え方に冒されてはいないでしょうか。子どものいじめ問題などにも、その影響が出ているように感じます。私は、現在の日本社会は他人の痛みを自分の痛みとして感じ取る力が弱まっているのではと危惧しています。

日本を指して、自分のことしか考えない子ども社会であるという本が発刊されているくらいです。

そして自己責任です。自己責任という言葉が死語になりつつあるのでは、と感じるくらい責任を他者に押しつけている場面を多く見受けます。世の中に起こる問題すべて他人のせいと言わんばかりに声高に主張する姿を見ると、そこに市民としての義務の精神を感じ取ることはできません。

教育現場もしかりです。どこかの学校で話題になった、「かけっこを手をつないでゴールする」的な考えが横行しますと、子どもたちの中に養わなければならない、「健全な競い」や「たくましい精神」という成長を奪いかねません。無菌室で育った子どもたちのいく末は、ここで言うまでもないことでしょう。

すべての事柄は表裏一体であり利害得失は同じということもありますが、修正を求められていることは間違いないものと思います。