自然体に生きる

自然体に生きることは難しい。自然体に生きようと思うには、仏教で言う修行でもあるかも知れない?世の中の邪念、自分自身の心の邪念を捨て、生まれ持った純粋な心を維持しする努力することにあるのだと思う。

基本的な考え・・・人間として一番大事なことは、あくまでも自然体である続けること、秀でた人の模倣をすることでなく、権威ある人に付き添うものでなく、全く自分自身のままでいればよい。

自然体であり続けることが、肝心なのである。人はみな他人と差があって当然、他人と違いがあって当然なのである。自らの個性をそのままに、自分自身でありつづけることである。

決して他人との比較によって、自分の位置を決めてはいけない。「人には出来ても、自分には出来ない」「ダメだ」「無理だ」というマイナスの領域に自分を位置づけることは、間違っている。

自分自身の長所を一つでもよいから見つけ、それを伸ばしてゆけばよい。そうすることにより、知らないうちに自信がつき始め、人生を楽しく生きることが出来るようになる。

子供の物が手に入らないと言ってはだだをこね、感情のまま、わめき転がり回り、人目をはばからず感情を表す光景を目にすることがある。

世の中でお金への異常な執着する人が多い中で、ありのまま自然体で生きていたら、金の亡者やさまざまな亡者たちに殺されてしまうのではないか、というほどの恐怖さえ感じてしまう。そんな世の中でも、それでも生きていくのが使命である。その使命を果たし何とかありのまま自然体でいるには、たくさん捨てる物がある。

幸せだと感じる暇もなく、明日訪れるかもしれない死を迎える。 ありのままの自分でいられる場所みつけたい。

普段はうれしい応援の「がんばれ」ということば、つらいときには「がんばらない」を選ぶ勇気、自然体で、前に進み続けること 「がんばらない勇気」 がんばることは大事なことでがんばることは自分を満足させたりする 。

よくがんばったねと言われると気恥ずかしくて、くすぐったいほんのちいさな子供の頃もがんばれば、何かいいことがあると知っていた。

そんなにがんばって大丈夫?ちいさな心は大丈夫?がんばらないで立ち止まってもいいんだよ 、がんばってという何気ないことば何でもないことばが楔のように打ち込まれるときがある。 がんばらないで立っていて前を向いて立っていて進みたくなったら進めばいい。がんばらないという勇気ある選択することが大事である。