「なるべくしてなる」という言葉

「成るべくしてなる」の意味は、悪い結果が見えていてもいなくても、当の本人ではこれ以上どうしようも出来ない状況から成るべくしてなったということかも知れない。しかし、自分の言動責任がないことだ。

人間の力としてできる限りのことをして、その結果はただ運命に任せるのみということから「人事を尽くして天命を待つ」言葉がある。

また、同じ意味で「因果応報」・・・仏語。前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること・・・人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということで、「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと、がある。

どんなことでも、手抜きをしたり、他人に責任を転嫁する、自分に厳しい規律を果せない人がいる。そして偶然にも結果が良かったりすると、人間本来の歩きかたが違っていても気がつかないで、有頂天になってしまう。

実直にコツコツ人生を歩んでいる人、自慢するでもなく、ただ人々の幸せを願い、世の中不幸な出来事を「なるべくしてなる」という意味を充分分かる人間でありたい。