「良識」を考える

いま日本は、政治も経済も、教育も労働も、社会の全般が狂っているようで仕方がない。そうした状況にあって、いま日本人にもっとも必要とされるものは、良識である。社会人としてまともな判断を下せる、善悪の判断と、その良識が、問われる時代である。

この地獄のような競争社会において、狂った世の中の「常識」に振り回され、多くの人が良識を失っている。一人でも多くの人が良識を取り戻してほしい。そして、人間らしい心を持って、ぜひとも人間らしく生きてほしい。心からそう願いたいものである。

勇気を持って善いことをした。だが、人は誰も誉めてくれない、そっぽを向く、そんな行為を評価するどころか、軽蔑さえする社会になってしまい、それが常識とさえ?

そしてまた、善いことをすることもある、でも善いことをした人が「善い人」ではない。「善いことをした」というだけなんである。次の瞬間には悪いことをする。それが人間だと思わないと、あらゆる判断を間違える?

そなに人を信頼できない社会になっている。もう一度「良識」取り戻し、日本人の人間どうしの心の絆を取り戻すことが大事だと痛感する。

「良識」・・・物事を正しく判断する能力。時として理性と同一視される。「正しく判断し、真なるものを偽なるものから区別する能力は、本来良識あるいは理性とよばれるものであるが、これは生まれつきすべての人に相等しいものだ。

「良識」とは、ある与えられた判断が真であることを妥当な論拠を挙げて推論することされないことで、日常の具体的な諸問題を冷静かつ公平に判断する能力だ。

また、常識を一定の社会や集団においてのみ通用する一般的知識として理解するなら、良識は常識をしのいでその上にある。例えば、「祖国防衛」はあらゆる民族の常識であるが、「核兵器廃絶」は全人類の悲願であるという意味で、実に良識とよぶにふさわしい。

良識の府・・・作家や有識者を中心とする大きな会派があり、衆議院のように政党の立場にとらわれず、議員一人一人の良心や信念にもとづく自由な議論が行われていた。このことをさして参議院のことを「良識の府」と呼んだ。