町会の在りかたを考える

長らく町会の役員をしますが、最近「町会の在りかた」「存在意義」に疑問に思うようになった。①町会長などの役職になりてがいない後継者の問題、②一人一役制が取れないで特定の人に偏ってしまっている。が大きな問題と思っている。町会の存在意義が見失われている。などがあげられる。

町会をもう一度考えてみると・・・
町会とは、町において、その住民等によって組織される親睦、共通の利益の促進、地域自治のための任意団体・地縁団体とその集会・会合である。

町会の第一の役割は、互助組織としての実質的な活動というよりは、自然には生まれない共同体意識というものを人工的に発生させて、それをもって非常時の組織的互助や、制度で網羅できないご近所同士の軽微な互助など、それらの体制を包括的に維持することにあると思う。

町内の情報を統括する役員を選出し、各世帯や各種団体間を調整して連絡体制を維持したり共有財産を管理したりすることは当然必要だが、それだけなら行政が直接管理することも限定的に可能である。

肝心なのは、一定の範囲内で小集団を組織して最小単位となるコミュニケーションを定常的に成立させること、またそれらの小集団を組織する上位集団(ここではすなわち町内会)の意思決定過程を構成員に納得させる形式で明確化すること、そしてその手順のルーチン化である。

一見無駄で徒労が多いように見えるイベントや寄り合いもこの手順の内であり、昔から伝統的に維持されてきたムラ社会的なコミュニケーション手段の模倣として成り立っている。

地域コミュニティに関する日本的な解決方法に類似する手段は今でも大多数の地域社会で有効であり、かつ有効な代替手段は確立されておらず、時代遅れは承知しながらも、時代に合わせて新しく再構築する努力が不足している現状である。

実際、異なる年齢・性別・職種などを網羅できる地域的コミュニティ組織としては日本では依然として町会組織が大半を担っており、郷土や国家への帰属心などのメンタリティの基層としても未だ多数派である。

しかし一方で、地域コミュニティに対する、個人主義的反発や集団活動の忌避はごく自然な風潮であるといえるが、その一方でその対価ともいえる治安悪化や行政コストの増加は容認できないという大衆社会の、未熟性とも見てとれるジレンマがあり、すなわち町会の在り方の問題と、町会への理解が得られにくいという問題の双方にこれらが関わっている。