世の無常・・・人の命の儚さを知る

疎遠になっていた知人が、街で倒れて亡くなった。本当に吃驚である。人間の命の儚さを思い知らされた。

人が亡くなることに見聞きすると、寂しい気分になる。周りの人が一人欠け、二人欠け世の無常を実感させられる。日常の生活を見直し、この現実をわきまえて生きていこうと思った。

「朝には紅顔ありて 夕には白骨となる身なり」

私たちは、朝には若々しい顔つきをしていても、夕方には白骨となってしまう身なのです。現に無常の風が吹いてきて、二つの目がたちまち閉じ、最後の一息が永久に切れてしまえば、せっかくの血色のよい顔も色を失って、桃や李の花のような美しさをなくしてしまうでしょう。

その時になって、親族の者が集まって嘆き悲しんだとしても、もはやなんの甲斐もないでしょう。そのままにしてもおけないので、野外に見送り、夜半に荼毘に付せば、煙となってしまって、ただ白骨のみが残るのです。悲しみはとても言い尽くせない。

だからこそ、人の世は老少不定のはかない世界であるからこそ、いずれの人も、早く後生の一大事を心にかけて、深く阿弥陀仏をおたよりして、念仏申すべきであります。

蓮如の御文章ある。蓮如は、室町時代浄土真宗の僧、「蓮如上人」と尊称される。しばしば本願寺蓮如と呼ばれ、親鸞の直系である。