話題のミャンマーという国

ビルマの立琴」調布市の深大植物公園で、たまたま遊びに来て撮影風景を見た。大きな木のある森で行われていたが、大仕掛けで、ホースで雨を降らせてのシーンだった。俳優の安井昌二さん・女優の岡田茉莉子さんがいた。

ビルマの竪琴』とは(ウキペディア)・・・竹山道雄が唯一執筆した児童向けの作品で、多くの版元で重版した。雑誌「赤とんぼ」に1947年3月から1948年2月まで掲載された。ビルマ(現在のミャンマー)を舞台としている。市川崑の監督によって、1956年と1985年に2回映画化された。各国語にも訳されている。

ミャンマーと言えば、アウン・サン・スーチーとそれに対峙する軍政、一般的なイメージがある。インドや中国といった地域大国と国境を接し、隣国のタイとは長年戦いを繰り返してきた。現在でも国を取り巻く政治状況は厳しく、国内経済は破綻に近い状況だが、人々は素朴で驚くほど親切だ。豊かに残された自然や、国中に点在する仏教遺跡など、見どころにもこと欠かないという。

なぜ国名を変えたのかというと、ミャンマー1989年に現政権が英語呼称を Burma から、Myanmarに変えた。ここで問題になったのが、 軍事政権 が変えたという。政治的信条から絶対にミャンマーは使わない人もいますし、欧米のメディアでは Burma を使っているところが多いという。

アウン・サン・スーチーさんというと日本の京都大学に留学したこともある。1991年ノーベル平和賞を受賞、民主化の指導者で有名である。日本の1.8倍の国土に、人口5320万人、農業国・仏教国である。豊かな自然が残っている国である。

アジアの仲間の日本は、太平洋戦争では大きな迷惑をかけた歴史があるが、民主化の流れもようやっと一定の方向付けの動きが出てきたようだ。中国の動きを牽制するかのようにアメリカのクリントン長官が訪問した。

テイン・セイン大統領と会談した長官は、政治犯の一部釈放や民主化勢力との対話など一連の措置を歓迎し、外交関係の格上げを検討すると表明した。アウン・サン・スー・チーさんと米国のクリントン国務長官ヤンゴンで握手し夕食をともにした。半年前には想像できなかった光景である。

日本政府も、玄葉外相や枝野経済産業相が相次いで現地入りする。援助や経済交流促進の前提として、民主化の着実な進展を見極める必要があるだろう。