冬至に思う

今日は、22日冬至である。あと僅かで新しい年になる。2012年(平成二十四年)となる。

松尾芭蕉の「奥の細道」の序文を思い出した。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」・・・

月日というものは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年も同じような旅人である。

絶えることなく行き交う舟の上に人生を浮かべる船頭、馬の口をつかまえて老境を迎える馬借(馬方)などは、毎日が旅であり旅を自らの住処としている。昔の人も旅の途上で死んだ者は多い。

私もいつの頃からだろうか、千切れ雲が吹き飛ばされる風情に誘われて、さすらいの旅に出たい気持ちを抑えられず、須磨・明石など近くの海辺をさすらったりしていた。去年の秋、ようやく隅田川のほとりにある深川芭蕉庵の家に戻り、古巣を払いのけたりなどしている内にその年も暮れた。

春の空に霞が立ちこめるようになると、白河の関(現在の福島県にあった関所)を越えたいと思い、気持ちを急き立てるそぞろ神がついて狂おしい心境になり、旅の神(道祖神)の招きにもあって取るものも手に付かなくなってしまった。

旅の準備をするために、股引きの破れを修繕して、笠の紐をつけかけ、足を健脚にする三里のツボにお灸を据えたが、まずは松島の月の風情が心に浮かんできて抑えられない。今の小さな庵は人に譲って、弟子の杉風の別荘にまずは移った。

草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家(この小さな草庵も遂に住民が住み替わることになったが、新しくやって来る住民一家にはお雛様を飾る小さな女の子がいるらしい。今までの男だけの家とは打って変わって、ひな祭りを家族で祝う明るい家へと変わっていくのだろう)

この最初の句を書き付けた『表八句(第一紙の表に記した八句)』の懐紙を庵の柱に掛け置いて、旅立つ前の挨拶とした。

それにしても今年は、何百年に一度と言う東日本大震災という巨大地震と20メートルを超える大津波に遭いその上、東京電力福島原子力発電事故で放射能漏れで、未曾有の被害が出た。

グローバル化した世界経済は、ギリシアから端を発した経済不況の嵐は、生々しい傷跡残る日本にも大きく、歯を食いしばり必死で立ち直りを図ろうとしている人の、襟首を潮風に晒されているよなうな状況となった。

どんなに科学技術が開発されても、大宇宙の存在を知り得るまで到達していない。人間の知能では、大自然までコントロールすることは出来ない。精々環境破壊を防止するぐらいであろう。その環境保持さえ、人のエゴでまとまらない。