善と悪

「何が良いことで、何が悪い事なのか?」
善と悪について考えた。善とは良いことであり、悪とは悪いことである。これは当たり前のことだが、では、どんなことが善で、どんなことが悪なのか・・・。

私は、人間生きる目的は、人間すべてが幸せになることだと信じている。その目的にかなっていることは良いことであり、逆に少しでも人を不幸にすることは悪いことだと思う。

例えば、人の物を取るのはいけない。取られた人がいやな思いをするからである・・・人にプレゼントをあげるのはいいことである・・・もらった人が嬉しい気持ちになる。人を殺してはいけないのは、法律で禁止されているからではない・・・その人の将来や、その人の家族の幸福を奪ってしまう。

自殺するのはいけないことである・・・なぜいけないのだろうか。それは自殺をしたら、自分の家族や親族を不幸にするからである。

人を差別することは悪いことである。差別を認めてしまったら、自分だっていつ差別されるかわからない。人をいじめることは悪いことであるが、いじめを認めてしまったら、自分だっていついじめられるか分からない。

何故、この世から悪はなくならないのか?
人は「他人の幸せよりも自分の幸せを優先させようとする」からだ。人が生物である限り仕方のない。あらゆる生物には自分を保とうとする本能があるからだ。

これがなければとっくの昔にその生物は滅んでしまっているだろう。だから何かしら利害の対立することがあるとき、数少ない例外を除いて自分に有利な行動を選択するのである。

しかし、それがすべてではない。生物にはその種を保とうとする本能もある。私達は、「自分が幸せに生きたいという気持ち」と「人類全体の幸せを望む気持ち」と、この両方を併せ持っている。

「自分が幸せに生きたいという気持ち」を「エゴ」という。「人類全体の幸せを望む気持ち」を「愛」という。そして、私達はこの両方を適当にバランスを保って生きているのである。しかし、時にこれが対立して、どちらかを選択しなくてはならない場面に立たされることがある。

そうなると普通、人は「エゴ」を優先する。そういう選択をするとき、人は罪悪感を感じることもあるが、これは人も動物であるかぎり仕方のないことでもある。

だからといって、「自分はエゴ丸出しで生きていく」と開き直っていいというのではない。それでは決して本当の幸せは得られないだろう。自分の幸せと同じように人の幸せを考えられるようになることが理想なのである。

自分の幸福を犠牲にしてまで他人のために尽くせというのではない。自分一人幸せになれない人が、他人を幸せに出来るわけがない。

自分が幸福になる道を見つけることである。そして自分が幸せであるなら、少しでも多くの人を幸せにしてあげられるよう力を尽くすことが大切なことである。