裁判員裁判の重み

覚せい剤持込裁判で一審無罪・・・ニ審有罪・・・三審無罪の判決確定の裁判

被告は、チョコレート缶に覚醒剤約1キロを隠してマレーシアから密輸したとして起訴された。千葉地裁裁判員裁判は、「土産として預かった」「覚醒剤が隠されているとは知らなかった」といった被告の言い分を「不自然であるとは言い切れない」と判断し、無罪とした。

東京高裁は、二転三転した被告の供述について、「その都度、うその話を作った」と指摘、覚醒剤が入っていると知りながら持ち込んだとして、懲役10年、罰金600万円を言い渡した。

国民の司法参加が決まって以来、法律が定める姿と実務の溝を埋め、捜査や公判を透明でわかりやすいものにしていこうという流れが生まれている。今回の判決も、その重要な一歩と位置づけることができる。

市民感覚で判りやすい裁判で、裁判員裁判の裁量の重さを痛感する。東京・・朝日・・読売の社説で取り上げていた。

東京新聞・・・「裁判員判決 「市民尊重」は新基準だ」
二審が一審を覆すときは、差し戻し、審理をやり直せばよい。最高裁の判断は制度の趣旨にかなうだろう。検察側の控訴や高裁の審理にも大きな影響を与える。

裁判員たちにも、より適切で厳格な事実認定などが求められることになる。ただし、今回の判断は、一審無罪のケースに限って考えるべきではないか。

一審有罪の場合は、やはり「推定無罪」の大原則のもとで、二審は判断するのが当然である。誤った有罪判決を維持することがあっては決してならない。一審の事実認定などに不合理な点はないか、二審では今後、いっそう厳しい目でチェックすべきだ。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が揺らぐことはありえない。

朝日新聞・・・「二審の役割―裁判員時代が迫る転換」
裁判員が参加した一審では無罪だった。ところがプロの裁判官だけで審理した二審は有罪。どちらが「正しい」のか。

地裁と高裁の結論がわかれた裁判で、最高裁は一審を支持する判決を言い渡した。 妥当な判断といえる。

一審の結論を高裁がひっくり返すには、よほど説得力のある理由と説明が必要だ。安易に認めれば、刑事裁判にふつうの人の感覚を反映させようという裁判員制度の意義が揺らいでしまう。

読売新聞・・・「裁判員裁判 尊重しつつ精査求めた最高裁
市民の判断を尊重すべきだという最高裁の意向の表れだろう。今回の判決により、高裁は1審判決の破棄に慎重にならざるを得なくなると見ることもできる。

ただ、控訴審の役割も忘れてはならない。1審判決を精査し、問題があれば正す。高裁が裁判員裁判の結論を過度に尊重するあまり、チェック機能がおろそかになってはならない。

3審制の下、高裁、最高裁が十分にチェック機能を果たすことが、誤判の防止にもつながる。

今回の裁判が特異な経緯をたどった要因は、検察の不十分な立証にある。覚醒剤の存在を知っていたという「認識」を裏付ける証拠を得にくい事情があったにせよ、「証拠が少なすぎた」という裁判員の感想は検察の反省材料だ。綿密かつ分かりやすい立証が検察に求められている。