やりべきこと、やりたいこと、できること

「さぁーて今日は何をするかー」朝起きて考え、結果的には不満足な一日を過ごすことがある。年金暮らしで、「その日その日を無事に終ればいい」と考え・・・出きれば最高だ。平凡な毎日が送ることが難しい。平凡なのだ「平凡」それは「非凡」なことなのだ・・・。

余計?なことを考えてみた。「やるべきこと」「やりたいこと」「できること」である。そして「今でなければできないこと」「今やらなければいけないこと」「後ではできないこと」があるはずだと考えてみた。

「やるべきこと=今の環境で自分の果たすべき役割」
「やりたいこと=理屈ではなく感情的に自分が望む事」
「できること=いまの自分の経験や能力から実行可能なこと」

選択肢の多い時代、何もかもが自由だと思える環境の世の中、自分が得意でやりたいことから入ってしまい勝ちでる。ただ、そうするとどうしても「やりたいこと」=好きな事しかしないから、「できること」の幅が拡がらない。

私は生活が豊かになったが、精神的に未熟な人間が多くなってきたように思えてならない。それが「無縁社会」という言葉になってきたのだと思う。環境悪化になって、人の心はますます「荒ん」できた。また「自分さえよければ」の人が多くなってきたように思う。

私は、何も予定がない日は、町の中、公園、川沿いに落ちている「ゴミ」を拾っている。私には人を説得できない口下手であるから、「ゴミを捨てないで」と上手にいえないから・・・1時間拾い集めると40リットルのボランティア袋に一杯になるほどだ。

「やるべきこと」を出発点としてボランティアをしていると、少しずつ「できること」が増えてくる。そうすると、新しく「やりたいこと」が見えてくる。それを実現するための力も「やるべきこと」を通じて身に付いているので、出来るようになってくる。

そうして精神的な基礎体力が出来てきた中ではじめて「やりたいこと」に取り組み始めると、その成功に向けて、さらに「やるべきこと」に気づくようになる。そうすると、「やるべきこと」「やりたいこと」「できること」が認識され、それが人間形成につながって、社会人としての枠が拡がることにになると思う。

人間社会で生かされているが、責任があるはずだ。人のために何が出来るのか考え行うことがある「支えあうことが人間社会の原点」である。それが「やるべきこと」「やりたいこと」「できること」だ。そうして誰もが、今でなければ出来ないことを考えることになる。