命を救うのは誰なの?

東京都立川市羽衣町の都営アパート一室で死亡しているのが見つかった。90代の母親と60代の娘の二人で、60代の女性が何らかの原因で死亡し、連鎖的に母親も亡くなったようである。発見までに5日間が経過していた。

同町内のすぐ近くのマンションでは、先月中旬に死後約2カ月の母親(45)と、障害を持つ次男(4)が遺体で見つかる「孤立死」があったばかりである。

自治会長は「娘さんが60代とまだ若く、2人暮らしだったことで油断していた。こうした事態が起きてしまい悔しい」と唇をかんだ。

「おそらくお母さんを介護していた娘さんが突然死し、お母さんも亡くなったのだと思う。二度とこういうことが起きないよう住民間の絆を強めていく方法を考えたい」と話した。

一体、こういった事(私は事故だと思う)をどう防ぐのかと言えば、住民間の普段からのコミニティーにあると思う。「限界集落」・「無縁社会」・「絆」と、人が生きていく条件に問題提起されてきたが、「プライバシー」・「個人の自由」などの障壁で阻まれてしまった。

誰が悪いではなく、市場経済主義の発達や、社会構造の変革で『見捨てられた「命の尊さ」』であろう。人は一人では生きていけない。多くの人に支えあって生きられるのである。

このような痛ましい事故は、誰にでも起こる社会が恐ろしい。「安心・安全・穏やかな人生」を送りたいものである。行き過ぎた市場主義経済から、人の命を守る生活形態に変える社会構造にハンドルを切ることが必要だ。