卒業式の“君が代”斉唱問題

三月は学校の卒業式のシーズンである。国家“君が代”斉唱・「仰げば尊し」・「蛍の光」を歌って、卒業生が先生方に感謝し、学校生活を振り返る。特に明治から昭和にかけては学校の卒業式で広く歌われた。

ウキペディア・・・明治から大正、昭和にかけて、学校の卒業式でしばしば歌われる定番の曲となり、現在でも中年以上の世代を中心に、日本の多くの人の記憶に残る歌だ。

しかし、歌詞が文語であるため、児童・生徒には分かりにくいという理由から、卒業式で歌われることは減った。大都市の公立学校(特に小学校)では、卒業式合唱曲を『旅立ちの日に』、『贈る言葉』、『さくら (森山直太朗の曲)』等、より近年のヒット曲を中心にする学校が多い。

さらに、『仰げば尊し』を歌っている学校においても、2番の歌詞では「身を立て名をあげ」と立身出世を呼びかけている事が「民主主義」的でなく、また「いと」「やよ」のような文語が「難解である」という理由で敬遠され、本来の2番を省略し3番を2番として歌うこともある。

戦後、児童文学者の藤田圭雄は、この歌詞を現代風にアレンジしたが不評であった。

そして、国家の『君が代』の斉唱など問題になっている特に大阪府で、職員の不起立があって問題となった。橋下大阪市長率いる「大阪維新の会」中心に昨年起立斉唱を義務付ける条令が施行された。

君が代は、詩の内容が文語体であり、分かりにくい。しかし職員が不起立で歌わなかったら、厳粛な卒業式は成り立たない。各国の国家斉唱では、国際スポーツなどの試合の前に歌われ、個人の国家意識の発揚になっている。やはりセレモニーなどには、世界各国同じであり、大事なことだ。

朝日新聞社説・・・「大阪の卒業式―口元寒し斉唱監視」・・・卒業式で教員が本当に君が代を歌っているか――。

大阪府立和泉高校の校長が教頭らに指示して教員の口の動きを監視させていた。歌わなかったと判断された教員らは事情聴取のうえ、処分も検討された。大阪府では昨年、全国で初めて君が代の起立斉唱を教職員に義務づける条例ができた。それに基づくチェックだという。

校長は10年春、民間人校長の公募に応じ、採用された。起立斉唱条例を提案した大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長の友人で、弁護士資格を持つ41歳。

府教委の生野照子委員長は橋下氏と校長にメールを送り、「もっと悠々たる度量でご検討を」と口元監視をいさめた。

それでも橋下氏は「これが服務規律を徹底するマネジメント」「ここまで徹底していかなければなりません」と校長の姿勢を高く評価するばかりだ。

個人の歴史観で見解が分かれる君が代をめぐり、最高裁は職務命令で起立斉唱を強制することに慎重な考慮を求めている。1月には東京都の懲戒処分をめぐる判決で、いきすぎた制裁に歯止めをかけた。

これに対して橋下氏は、君が代の起立斉唱は、良心や歴史認識の問題ではなく、公務員として守るべきルールであり、マネジメントのあり方だという主張を繰り返している。

しかし、そもそも卒業式で口元を監視することが優れたマネジメントといえるのだろうか。卒業生を送り出す祝いの舞台が、校長の管理能力を試す場になっていないか。

同僚の口元を凝視させられる教頭らの気持ちはどんなものだろう。教育者より管理者の意識ばかりを徹底させていないか。

教員のもつ能力を最大限に引き出し、良好な学びの場を生徒らに提供することが校長の手腕であるはずだ。口元監視がそうした教育環境づくりに寄与するとはとても思えない。

今春、府立高校14校の教員17人が不起立を理由に戒告処分を受けた。研修を受け、「今後は職務命令に従う」との誓約書に署名・押印を求められた。こうした府教委の対応は、府議会で審議中の職員基本条例案の成立を見越したものだ。

条例は、同じ職務命令に3回違反すれば免職にすると定めている。君が代で起立斉唱しなかった教職員を想定しているとみられる。市議会でも市長が提案する方向で準備をすすめる。

組織統制を優先させる「マネジメント」が、よりよき教育を生むのか。条例を審議する議会各派はじっくり考えて欲しい。