ボランティアで疲れた


町会役員を長年やっていて、「アッ自分を犠牲に!」「心に余裕を持って」「辞めたくも辞められない」「結局か病気で動けなくなるまで?」・・・疲れが・・・「自分の悔い人生とは」を考えてしまう。

こんな書き込みもある・・・
○○○今の町内会は、実態としては住民が自由に集まる民間団体ではなく 行政側の都合で作らせる行政末端組織になってしまっていますから ね・・・

ごみ収集など生活を人質に取る陰湿な脅迫構造によって住民 を無理やり巻き込み、住民を役人や天下り団体の「奴隷」にしたり 寄付・募金を騙る「みかじめ料」を奪い取るための奴隷制になって しまっている地域も多い。このような状況では、町内会の班長を断 りたい、というのは、むしろ当然かもしれません。

高齢や仕事などの都合で町内会の班長を断る、という人は、それは それで仕方ないでしょうね。そもそも加入自体強制してはいけないのに脅迫的な構造の中で加入させられる状況になってしまっている わけで、その上生活を壊してまで役員を押し付けるのは・・・

さらに班長が回ってくるなら退会する、というのなら、行動力と勇気 のある人だな、と思います。こうした人が増えてくれば、町内会 という地域住民を苦しめ住民間の対立や争いの元になって来た醜悪 な奴隷制を変えていくことができるかもしれません。

班長など「町内会の役員」というのは、まさに「奴隷」として「本来 強制してはいけないこと」を無理やり強制される立場ですからね。○○○

ボランティアとは・・・
もともと日本と欧米では、ボランティアに対する考え方が違うのです。日本でボランティアといえば、『素人』で『暇のある人がすること』と考えられています。ボランティアに参加する人も、自分が素人であることを前提に「何か奉仕しましょう」という程度にしか思っていない傾向があります。
外国には、ボランティアなんか、暇のある家庭の主婦がやればいいんだ、というような考え方はまったくありません。仕事を持っている人が時間をつくり、自発的にその時間をつかって、自分の専門家としての能力や、趣味で蓄積したものを提供する。それがボランティアなのです。だから、専門職のボランティアが、どこの病院や施設にもいます。医師 日野原  重 明

個人がさまざまな社会問題に関心を持ち、心を痛めたとしても、結局のところ、一人ではなにもできないという無力感や焦燥感に包まれている現代社会の中で、ボランティアは、新しいつながりをつけてゆくためのひとつの具体的で実際的な方法を提示するものであるということだ。
ひとことで言えば、ボランティアとは、切実さをもって問題にかかわり、つながりをつけようと自ら働くことによって新しい価値を発見する人である。大学教授 金 子  郁 容

町会の役員をやって・・・疲れしまって、身体が壊れそう・・・妻にそこまでしてどうするの・・・辞めたいが、代わりの人がいない。

「町会なんて何であるの?」という人も・・・町会の存在など無関心の人が多い。理解して協力していただける人が少ない。時代が悪いのか、社会が悪いのか・・・