一日一生

きのう、病気見舞いに行き、患者の心に触れることが出来なかった。何と自分が、弱い卑怯な人間であるのか、自分自身の「生きる」・「生きていると言うこと」に曖昧さを痛切に感じさせられた。

患者さんが、闘病中に得ることができる「宝物のような時間」、1日・1時間・1分1秒でも尊く、無駄に出来ない――すべての生物は、生まれた直後に死に向かっていき続けている。諸行無常の世である。

私が患者だったら、時間の尊さを実感するだろうか?・・・まだまだ沢山やり残したことがある。その一つでもやり遂げることに執念で命の火を燃やし続ける?・・・それが闘病なのか・・・

「一日一生」誰もが明日はどうなるか分からない。だから、何よりも今日“ただいま”を大事にし、今日一日を自分の一生と思って、充実させて生きていく。それが、満足できる生を送る唯一の条件・・・満足できる死を迎えることが出来る。

実際に生きられるのは今だけで、幸せを感じられるのも今だけである。幸せになるためには、「今を大切に」できるようになることが大事なのだ。今現在が、生涯の宝物になるような気で生きることだ思う。

しかし、帰りに「ありがとう」と言われ「どういたしまして」とだけ口にしたが、見舞った患者さんの心の中を知る勇気もなく恥ずかしい思いで、病室を後にしたが、心に棘が残ったようだ。