親子の愛の関係

親が毒親なので子供が親と絶縁したいとか、絶縁したという話はよく聞くことがある。でも、親が子供と絶縁したいとかしたとかいう話は聞くことはあまりない。これはやはり、親が子を想うほど子は親のことを想わないからなのではないだろうか。(読売新聞・・・発言小町

「親が子を思う情はいつの世にも、『永遠の片思い』であるという。片思いに応えられる年齢になったとき、親はいない。 墓前にたたずめば人は誰もが、「ばか野郎」となじってもらいたい 親不孝な息子であり、娘であろう。」・・・(読売新聞コラム編集手帳)

•親(おや)思う心(こころ)にまさる親心(おやごころ)

吉田松陰の歌「親思ふ心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」から』・・・子が親を思う心よりも、子を思いやる親の気持ちのほうがはるかに深いということ


親が子を想う気持ち

「親は子の為ならどんなこともする。」親にとって子はどんなに大きくなっても子供だよ、親はそんな言葉を当たり前のように、あまり問題と思わずに言うことがある。それを聞いた子は、親の気持ちを想うと、やはり大事にしなければいけない。

「親孝行」という言葉が最近使われなくなったが、(儒教の教育が薄れてしまったのが残念である。)勝手に育ったとでも思っているのだろうか・・・

「子を産んで育てる」という動物的な本能であり、人間も他の動物と違いはない。しかし、必要以上の将来の不安視?と自制心?の知恵から子を産むという自然な行為をコントロールするあまり、少子化の減少という結果になり大きな問題になっている。

「無償の愛」・・・「ここまで育ててきてやったのに、この恩知らず」と親「生んでくれと頼んだわけではない」と子。良くある、思春期の親子喧嘩である。親は、この子供のセリフを絶対に言ってはいけない言葉だと主張する。

しかし、そんなセリフを吐かせるのは、親の方に問題がある事も考えられる。親には子供を一人前の人間に育てる責任がある。子供が悪態をついたり、不良となるのは親がこの責任でもある。

子供を育てるのは親だけではない。学校であったり、地域社会であったりもする。しかし、親がきちんと責任を果たしていれば、少なくとも親に対する不信感だけは抱かない筈である。

「親の愛」とはこの責任のことである。正しき事を教え、時にはただ成長する我が子に目を細めているだけでも良い。子供が一人の人間である事を認めてやり、考えを理解してやり、また時には助言をする。

決して傲慢にならず、強制をせず、寛大な気持ちで見守ってやる。そういうものが「愛」なのであると思う。「愛」を一心不乱に注いでやった時、子供は何かを感じる。そんな中から「親孝行」の精神が芽生えてくる。

例え、そんなものが芽生えなくとも、嘆いてはいけない。あるがままを受け入れるという覚悟があれば、見返りがなくとも諦めがつくだろう。子供を作るということは、そんな覚悟の上に成されるべきだと思う。