世紀の天体ショー


今朝は(2012年5月21日)宇宙の大スペククタルショーが起きる。東京などの首都圏では173年ぶり、大阪、名古屋、東京の三大都市圏で同時に観測できるのはの実に392年ぶりという、太陽・月・地球と一直線になる金冠日食である。

想像だが、私が子供の頃、部分日食を見た時にも不安にになってしまったことから、それが392年前のむかしに突然暗くなってしまったら、この世が終わりと思ってしまった人々がいたと思う。「一体どういうことなのか?・・・神様・仏様」ただおろおろするばかりの人々はお互いに抱き合い不安な様子が目に映る。

このことから連想するのだが、宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』を思いだす。宇宙の法則
宮澤賢治の代表作となる『銀河鉄道の夜』は死後の世界の情景を描いたものである。銀河の中を、列車が天国まで走っていく上り1本の急行列車である。

そこにいろんな人物が登場してきて、あの世の姿がそっくり出てくる。あの世(宇宙)の法則がはっきり描き出されている。それこそまさに賢治のとらえた幸福の原理である。単なる幻想の物語ではなく、実在の宇宙の内面のありのままの法則を描き出してみせている。

宮沢賢治といえば、詩の中でも「雨ニモマケズ」だが、この詩にう描かれた清貧に甘んじて利他行に徹する人物像は、『法華経』に登場する常不軽菩薩がモデルだと解釈がある。

武田鏡村の監修の本「仏教」から・・・常不軽菩薩とは、誰に対しても「あなたは仏になることができるのだから」と礼拝し、石を投げられろうと、杖で打たれようと、相手に崇敬を捧げ続けて、「常に軽んじず」ということから常不軽と名づけられて菩薩で、臨終時に『法華経』の教えを聞いてさとりを開き、さらに無限に寿命をのばして、『法華経』を説き続ける。

この常不軽菩薩こそ、賢治の理想像といえる。「デクノボー」原型なのかもしれない。そして「雨ニモマケズ」末尾に「南無妙法蓮華経」の題目を真ん中にした、日蓮宗でいう「大曼荼羅」が書き込まれている。『法華経』を知らずして賢治の文学は出来ない、といわれる所以である。

いま、賢治が生きていたらどんなこと考え言うのだろう?「ほめられもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい」とでも言うのかなぁ――

そんな思いのドラマチックな天体ショーが行われる。果たしてお天気はどうだろう。まさに世紀のスペクタルだ。