義理と人情の世の中が懐かしい

私は昭和20年代後半、親父聞くラジオの浪曲広沢虎造の「遠州森の石松」を覚えている。飲兵衛で、喧嘩っ早く、そしてなにより馬鹿である。「江戸っ子だってねえ、寿司喰いねえ。」寿司をみれば、思わずセリフが口に出てしまうくらいであった。

清水次郎長の子分・「森の石松」は、次郎長の代参で金比羅へ向うが、その帰路で博打の貸し金のもつれから、命を狙われる。森の石松は、馬鹿がつくほど単純で、正直者で一本気、見え透いた罠にまんまと掛かり、殺されてしまう。

浪曲はこの下りを、「馬鹿は死ななきゃなおらない」というフレーズを用いて語った。広沢虎造は名調子で広く人気を博したので、世間に「馬鹿は死ななきゃなおらない」というのが広がった。

そこに登場する「石松像」は、「自分は絶対嘘をつかないから、人も嘘は言わない」と思い、常に人を信じる性格で、行動も「お人好しで義理人情に生きる」見本の様に表現される人物である。

日本人の気質「義理と褌は外せない」などを親父はよく事ある毎に言っていたが、昭和の頃は日本人には、義理人情に生きる人間が多かったのだろう。それゆえ、森の石松像に人気があった。

人を信用し、家には鍵がない。困っている人には、見知らずの方を泊めてあげたり、お金を貸したり、ご飯を食べさせたりした時代があった。

村田英雄の歌に佐藤惣之助詩・古賀政男作曲「人生劇場」ヒットした時代があった。(宴会などでも年配の方がよく歌った)

(一)
やると思えばどこまでやるさ
それが男の魂じゃないか
義理がすたればこの世は闇だ
なまじとめるな夜の雨
(ニ)
あんな女に未練はないが
なぜか涙が流れてならぬ
男ごころは男でなけりゃ
解るものかと諦めた
(三)
時世(ときよ)時節は変ろとままよ
吉良の仁吉は男じゃないか
おれも生きたや仁吉のように
義理と人情のこの世界

(吉良の仁吉は、清水次郎長の兄弟分)

義理人情・・・辞書から義理人情ということば自体は中国に由来するが、その内容は、日本における濃密な人間関係、社会関係を維持存続し、さらには強化するための、日本の社会と文化に根ざした習俗であり、社会規範である。 [ 執筆者:源 了圓 ]

日本における「義理と人情」との関係には、一種の社会規範であり、それが人間の情欲や人間らしい思いやりの情としての「人情」と対立・葛藤の関係にあって、人が自己の身の処し方に悩む場合。と「あの男は義理人情を解する男だ」という表現に示されるように、両者がいわば一つのセットとなって、情緒的な人間関係に根ざした心情道徳という性格をもつ場合、の両面がある。

今でも、私たちの町にも一人位は「遠州森の石松」のような人物が居て欲しいものだ。