墓地の価値観・・・

近くにある来迎寺の両親が眠る墓地の掃除してきた、夏草が伸び、樹木が枝を張っていた、草をとり枝を整えて、通路まで清掃して、サッパリとした。

これも、いままでよく掃除をしてくれた妹夫婦が離れたところに越されてしまい出来なくなったということからである。今まで生きてこられたのも、両親はじめ遠い先祖があったからだと、感謝の念(思い)からである。

最近、墓地に感心を強くなり、さーて自分の墓を確保しなければと思うようになった。きっかけは、自分も後期高齢者となって、そろそろ自分の始末を考えて置かなければいけないと考えるようになった。

我が家でもご他聞に漏れず、核家族で息子・娘夫婦は離れて暮らしている。当然孫達も同じだ。親の面倒(介護)などは望むべきもない。40〜50年前のバックグランド違う世となって嫁さんが息子の両親を介護・看取るなんて考えられない。

近所のある人は、墓地を買い、墓石を買って、お坊さんに頼んで戒名まで頼んだという。全く世話なしにしたという話をきいた。

今話題になって樹林墓地が東京小平市にできて7月1日から受け付けが始まるそうだ。人気があって内覧会では5000人が見学にきたそうだ。やはり、子供たちにはお墓の面倒はなるべくかけたくない。

合同葬で、勿論、墓石もなければ塔婆もない。近くに大きな木があるだけだ。死んだら土に還るという単純な考えである。なんと言っても後々手間・費用が掛からないということが人気になっているのだろう。

子々孫々に自分の存在を示し未来永劫奉るという、今までの概念が変わろうとしている、したがって、お盆・お彼岸などの考え、お寺のあり方・宗教のあり方の価値観が違ってくるのも当然だと思う。