生存競争と相互扶助・・・雑感

「生存競争」や「弱肉強食」・・・誰でも知っていて、日常生活でも、たびたび、出てくる言葉である。生きるために人間同士たがいに争って勝ち抜いて、いま生きていられる。そう考えていくと、今、社会問題となっている「いじめ」も、動物本能を持った人間の性なのかと・・・

今の時代一番相応しい、リアリティとはなんだろう・・・と考えると人は孤独であること、都市の中で、お互いに、邪魔にならないように無関心を装って生きている。そして、他人には、迷惑をかけないかぎり、各人の自由は、出来るだけ認めていこうとする。自分には被害が及ばないかぎり、私はあなたのすることに口出ししないから、あなたもまた私のすることに口出ししないでほしい。

そのような、パラパラの個人が無干渉に併存するという、どこか淋しい理想を、私たちは生きようとしているように見える。 それに対し「競争」に徹底し抗しする思想家・・・ロシアのクロポトキンの「相互扶助論」である。

クロポトキンの『相互扶助論』・・・動物界においては「生存競争」よりも本能的な「相互扶助」が種の生き残りと進化に重要な意味をもっているのであり、人類についても「相互扶助」の本能が社会の根幹をなしているという。

ダーウィン以来、動物の社会は、強いものが弱いものを虐げていく生存競争の社会であるという話が世に広まっている。だが、それはまちがった見方だ。動物の間には、たしかに何かの競争があるが、しかし、同じ種のなかの個体同士のあいだには、それほど強烈な競争はない。

考えてみると、動物の個体のあいだにあるのは、明確な相互扶助の原則である。お互いが生き延びていけるような「支え合い」のシステムであることが分かる。

人類社会だって同じことだと、クロポトキンは強調する。彼は、未開時代から現代に至るまでの社会の姿を吟味して、生存競争ではなく、まさに相互扶助こそが社会を作り出す根本原理であることを示している。