「当たり前」は続かない

私が子供頃の生活で今のような、電気・ガス・水道・・・のライフラインは、ランプ・薪・井戸でした。そんな生活のなかで、印象に残っていることがあります。

両親が朝起きると、先ず外に出て、東の空に向って両手を合わせている姿です。今日も生きられるということに、祈り・感謝の気持ちであったのでしょう。そして、井戸水を汲んでお茶を沸かし、ご飯を焚き、仏様・神様にお供えをして、家族揃って朝ご飯を食べた生活です。

私達は、毎日生活していて、「来るのが当然」「あるのが当然」「動くのが当然」「明日という日が来るのが当然」など無意識に当たり前として生活しています。だが、こういった認識は、深いところまで考えると、大きな問題をはらんでいると思います。

当たり前になってしまうと、何もトラブルがない普段の生活の中でも、感謝が起こらなくなります。究極的には、私達の存在、そして宇宙の存在自体が当たり前ではないという事に気がつくのも大切なことだと思います。

今は、暮らし方が全く違うほど改善され、便利な、電気・ガス・水道のライフライン整備し、生活の質が違ってきています。わずか親子二代で、こんな生活できるなんて・・・両親の時代は思っていなかったことでしょう。

便利性を追求し過ぎその代償があまりに大きすぎ、驚き、うろたえている現代と思います。どういうことかと言えば、原発事故や、温室効果ガス問題や、デベロッパーの行き過ぎと自然破壊で、貴重な生き物が、種や数を減らしてしまっています。

そのことに、気がついた現代であるが、緩めることは出来ても、リセットはできません。人間の野放図な、欲望で、自然との調和を忘れてしまった結果です。この大宇宙の中で生かされていることへの感覚をなくしています。

当たり前なものは、必ずいつか当たり前でなくなる時が来ます。そのときになると、人によっては大パニックになったり、ウツ的な状態になったり、体調不良になったりが起こります。

もちろん、今回の地震で自分の知り合いや親戚で命をなくされた人や被災された人がいる場合は、それは自然な結果ですが、ニュースを見たりとか、計画停電があったりだけで、そういったメンタルが影響が強く出るのは、普段の「当たり前感覚」が打ち崩されたということに他なりません。

レベルの高い低いはともかくとして、私達のような知的な生き物がいる宇宙環境は、圧倒的に少数派です。地球のような惑星を探すのは簡単ではありません。その地球といえども、今の大気の状態になったのは、本当にごく最近です。

朝起きて、空気が吸える、凍え死なない、暑くて死なないというのは宇宙的にいえば、それは大奇跡なのです。明日という日が来ることさえも、長い目で見れば非常に特殊なことといえます。

人間の全知全能を酷使しても、でも自然には逆らえない。やはり、祈り・感謝が必要で、当たり前は、いつか崩壊するのです。