理屈ではダメとにかく実行

昨日、わが町八王子市片倉町(一丁目町会)のエリアである国道16号住吉橋〜子安坂上までの間の歩道のゴミ拾いを行った。どうしてかと言うと、病院(清智会)に検査で、歩いて出かけた。あまりにもゴミが酷いので、帰ってから出直してゴミ拾いを行ったのである。

京王片倉駅前や、トンネル内(京王線)信号機ある交差点・切り通し地の法面や、歩道にタバコの吸い殻・紙くず・空きビン・空き缶・ペットボトル・パックなど大きな袋に二つとなった。

人間は恐ろしいと思った。どんなに町が汚れていても、これは「普通・正常」であると感覚になってしまう。「環境に慣れる」・・・悪い・好いが分からない感覚に?

今、問題になっている、原発放射能→癌→死と連想して、原発反対と叫んでいるが、実際、私たちが住んでいる町や利用する、公園・歩道・河川などの公共施設が汚しても、汚れていても問題ないと思ってしまうのか?

人間と言う動物は環境に慣れると恐ろしい。知らず知らず、徐々に変わる環境には、人間の感覚は麻痺されてしまうのだ。だから、旅行などで美しい町、素晴らしい環境地に出会うと感激すら覚えるのである。

とにかく自分が住んでいる町は、汚さない・美しい町にしようと一人ひとりが感覚を麻痺させないで、」フレッシュな気持ちを持ってもらいたいと思う。

汚れているのは、私の責任ではない・ゴミを片付けるのは役所の人間と言う人がいる。そして最近の若者は・・・とか言う人ほど、自己中心的な考えの人が多くなったように思える。

この町に住んでいるのだから、美しく、安心・安全な町づくりは、住んでいる一人ひとりの責任である。是非ゴミを捨てない・落ちていたら拾う。理屈ではなく実行してほしい。

余計なことだが、最近の日本人のいけないことは、理屈は言うが実行出来ない・しないということが、政治でも家庭の教育でも、社会のモラルでもある、そして自己中心的な人が多いことが感じられるようになってきて、憂うことだと思う。