ぬくもり

最近は、産婦人科のある病院でお産します。私の子供の最初の出産(45年前)の頃は、家で出産される方もおりました。「助産婦・・・」などの看板があったのを記憶しています。

妹の出産の時、父親が、「母ちゃんが赤坊産むんだよ!」と慌しく、鍋でお湯を沸かしていました。やがて、奥の部屋から、赤ん坊の泣き声聞こえ、お産婆さんが「女の子」と言われたのを覚えています。

私ももちろん家で、お産婆さんによって取り上げらたのですが、15世帯位の部落に、同級生が5人いて、部落の仲間入りをしたのです。人の誕生、「生」は生活の中にあたのです。そして子供は三世代同居家庭や地域を生活の場として育てられました。

「家族」・・・葬儀式場に「何々家葬儀式場」とあるように、その頃の「家制度」の名残り?なのでしょうか・・・

食生活や住環境、医療が改善され来たと同時に、三世代が同居する家は少数になり、また老人介護施設を利用することが多くなるにつれて、日常生活で「老」の姿を子供が身近に感じる機会が少なくなりました。

医療と介護が充実してきたので家での嫁の負担が改善されてきました。嫁中心に家族などに身の回りの世話に頼らず、老衰でも病院で最後の時をむかえることが多くなりました。親や祖父母が老いて、そして命尽きる姿を、またご近所でお亡くなりになる人の姿を、日常生活で目にする機会が少なくなりました。

最近の子供たちは、成長の過程で日常的に「生」「老」「病」「死」の命の姿を目にすることなく大人になっていきます。命のぬくもりを実感しないと「生」「老」「病」「死」についての認識も変わらざるをえないでしょう。

昨今の少子化や、離婚率の増加、自殺や孤独死、さらには人の情ということについて、やさしさや、いたわりの気持ちをなくしてしまったことから起こる、いじめや犯罪、さらには、ひきこもり、心の病についての考え方の変化、これらは「生」「老」「病」「死」にたいする認識の変化と無関係ではなさそうです。

「生」「老」「病」「死」とは命の姿であり、命のぬくもりそのものです。若い人たちにとって、日常的に身近に「生」「老」「病」「死」と向き合うことがないので、その実感がないのかもしれません。しかし介護や医学療法が進み、経済的に豊かで、戦争の危機がない平和な社会に住んでいても、「生」「老」「病」「死」は人間の基本的な悩みであり苦しみです。