共生社会

増加を続けてきた日本の人口も、2008年前後をピークとして、人口減少・少子高齢化時代になり、いまや高齢化率は23.3%に上昇しています。それまでの成長を基調とする社会から、成熟した知識基盤社会へと徐々に変貌しています。

縦割り社会から横割り社会になり、いわゆるグローバル化した社会は、ますます厳しい競争社会となっています。ですから、なおのこと協力と互恵に基づく共生社会への脱皮が求められていると思います。

『共生』とは、自然環境と人間社会との共生はいうに及ばず、世代間の協調や産業間の均衡、国と国、さらには地方と都市という地域間のバランスの取れた発展と調和を意味します。その上、地域間の調整を図ることもこれに含まれるでしょう。

奪い合いではなく、分ち合いでしか誰も生きていけないという方向性が、次第にはっきり見えてきました。けれども最大の問題は、その答えを私たちは、受けいれることが出来るかということです。

新たな夜明けに向って踏み出すために、意を決して一度すべてを投げ出す勇気をもてるかどうかが、関わっているのですが、誰もが躊躇いてしまっています。例えば、自分のためにこれだけは確保しておきたいという発想が、TPPのような囲い込み型の通商構想にははっきり見えています。

国境を越えてお金も動いてしまう時代を、どう生き抜くのか、共生の構図はどこにあるのかということに集約できると思うのです。そのことに背を向け、“国境のある時代”を取り戻そうとして、世界経済を切り刻んでいく方向にいったらなら、まさに暗黒しかないと思います。

そういう厳しい選択を迫られる時代状況であるがゆえに、閉塞感という言葉が世間に流れているのだと思います。この閉塞感作っているのは時代ではなく、現実に向き合わず、時代状況に適応できない人間の感性なのかも知れません。