日々是好日


山岡鉄舟・・・「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山、元の姿は変わらざりけり」

沢庵禅師・・・「心とは、心まどわす心なり、心に心、心ゆるすな」

人は欲に心が動き、欲に迷ってしまう。好い日(事)、悪い日(事)、普通の日(事)など、自分がそう思いこんでいるだけで、心こそが自分を迷わすものだから、自分が心に思うこと、感じることに、また自分の心の動きに気を許すな、ということでしょう。

日々是好日という・・・相対的な価値観を超越し、宇宙と一体となって悠々と生きる事が人間としての真実の生き方であるという境地に達すれば、日々すべからく好い日であるということです。

余生を過ごすと言う人がおりますが人間に、余生と言うものがあるわけがない。事切れるまで、生きぬくことに、天命に従うことです。

この世に生まれ出た好き日に、終わりは、ありがとうと、締めくくる。終わり好ければすべて好しです。

これで人間一生、「日々是好日」、今日で命尽きるかもしれぬから、その日その時、みな良き日、よき時でありたいものです。

日々是好日が積み重なれば年々好日です、過去を振り返って愚痴ることも無用です、未来に思いを馳せても先のことなど確信がもてません、だから、今日のこの好き日、ただ今を生きることです。

人生はお天気のようなもので、晴れの日、曇りの日、雨の日、嵐の日など悲喜こもごもです。晴れてよし、曇りてもよし、雨もよし、嵐もみんな天気ですから、天気予報で言う、天気に下り坂もなければ、お天気が回復するという表現も、人間の我が儘根性の表れにしかすぎません。

人としてこの世に生まれてきて、今、生きている毎日が好き日です、そして多くの方とのご縁によって、共に生きていく日々が好い日です。

人生は山あり谷あり、挫折も向上の原動力であり、絶望も希望の出発点ですから喜ぶべきです。来る日、来る日のことごとくが好き日です、自分の物差しで判断していると、ついつまらないことで嘆いたりしてしまいます。