感謝の気持ちをわすれないで・・・

現世の人間は一人では生きていけません。私たちが使っているもの、食べるもののほとんどは多くの人の手が掛かっているのです。様々な人が自分の役割を果たしながら支え合っているのです。

「有難う」という言葉があるうに、普通はそんなに「有る」ことではないのに、誰かが自分の利益や見返りの期待を抜きにして、私のために何かをしてくれた場合に「有り難い」と思う気持ち湧くのです。

感謝の気持ちは人に対してだけのものでもありません。自分が地球上に生かされているのもまた「有り難い」ことです。太陽がその活動を停止しないのも地球が自転し続けているのも雨が降るのも偶然ではありません。

地球は今ある位置より太陽に近くても遠くても、その環境は維持できません。オゾン層がないと人間の健康は維持できないのです。

これらの様々な条件が揃ってはじめて地球上に生物が誕生し、人類も生かされている。このような条件が偶然に揃うことは滅多にない。奇跡とも言えます。

それなのに人間は自己の利益のために平気で自然を破壊します。さまざまな、恩恵を受けておきながら、それを当たり前のことと気にかけることもなく、自然に対して何もお返しをしなくてもいいものでしょうか?

いや、それ以前に少なくとも環境への悪影響を最小限にするように努力すべきです。自然災害が起こるのは、人間に何かを気付かせるためなのかもしれません。

現代社会という環境は、ありがたみを感じにくい環境です。何でも揃っている環境に生まれ、それが当然だと思っている子供に「ありがたみ」「感謝の心」を理解させるのは並大抵なことではありません。

昔はこれらの物がなかったのでこうやっていたと説明しても、実際にそれを体験していないと、感覚として捉えるのは難しいのです。

感謝の気持ちを持つためには、どうしたらいいのでしょう・・・?それにはまず現在の自分がありがたい境遇にあるということを自覚する必要でしょう。感謝の気持ちを忘れない方法は、今ある環境が無かったらどうなるだろうと想像してみる事です。

例えば地震などの大きな災害に遭うと、電気、水道などのあるのが当然のライフラインのありがたみが身に染みてわかります。衣・食・住、それを支えている人達のありがたみもわかります。

健康に全く気を遣わず、暴飲暴食、過労、睡眠不足など、体に無理ばかり掛けていると、健康を損なった時に、健康のありがたみ、自分の体へのわがままにはじめて気が付きます。苦労や失敗の経験が多いと、日頃、当たり前に過ごしていることがいかにありがたいことかが感じられるようになります。

しかし、環境や健康が損なわれてその大事さに気が付いた後、しばらくして以前の環境や健康を取り戻すと、ありがたみを忘れがちなのが人間です。

もし自分の両親が存在しなかったら・・・と想像すると、自分は現世に生まれ出ることすらできなかったということになります。自分の両親にも両親がいて、さらにその両親にも両親がいる・・・。と考えると、ご先祖様に対しても自然に感謝の気持ちが持てるようになるのです。

自分のために何かをしてくれた人に対しては「ありがとう」の言葉を素直に口に出せるようにしたいものです。現世の人間を生かしてくれている何かについては、現在の環境が失われたらどうなるかを想像して、感謝の気持ちを持つべきではないでしょうか?