ゴミ拾いの途中で・・・

昨日、歩道の木の下に、車に跳ねたのだろうと思われる、猫の死骸ありました。そこはスーパーの入り口でしたので、多くの買い物客が通行していました。殆んどの人は顔をそむけて、買い物に行くのでした。

私は、ゴミを拾っていて、その場面に出会ったのです。

八王子市の清掃事業部に電話で、片付けを依頼しましたが、その場所が分からないということで、その場所に待つことにしました。約30分ぐらいしてしたが、買い物客はめをそむけ・よけるように、通っていきました。

知り合いの人が来て、「あんた暑いのに、そんなところで何をしているの」と聞かれ、その人は動物好きな人で、「子猫のようですね、可哀そうこと、車に跳ねられたのね」といっていました。人はこの光景をみて、それぞれの感覚を持っているのだと・・・

市の清掃担当者が来て片付けてくれました。その後は何もなかったように買い物客は通行していました。

スイス有名教育学者「ペスタロッチのガラスの破片拾い」の話は有名ですが、そのことを思い浮かべました。

19世紀初め、スイスのチューリッヒ近郊のある町を、杖をついた一人の老人が何かを拾いながら歩いていました。妙に思った警官が「何を拾っているのかね」と尋ねると、その老人は「大したものではありません」と言うので、警官はますます怪しいと思い、無理矢理ポケットを調べると、ガラスの破片が出てきました。

「こんなもの何にするのだね」と警官が訊きますと、その老人は「子供たちが踏むとけがをするのでね」と言って、またガラス片を拾いながら去って行きました。この老人こそは「近代教育の父」と呼ばれたペスタロッチだったのです。

最近、簡単に誰でもできるけど、勇気を出さないと出来ないことで、「子供の不道徳な行為を注意」や、「ゴミが落ちていたら片付ける」という人が少なくなったように思います。

「そういう面倒なことに関わりあいたくない」という人が多くなったということですが、世の中、人と人が支えあって生きていけるのです。自分が嫌だと思ったら、他人も嫌なんです。

だから、気がついたら、嫌なことを勇気を出して行えば、みんな笑顔になれるのです。是非勇気をもって嫌な、「ゴミ拾いや、子供の不道徳など、勇気を持って注意など」、実行して欲しいものだと思いました。