世のために身体を壊してまで・・・

「町のこと一生懸命する人は、みんな身体を悪くしてしまう」と誰かが呟いていた。

きのう私は、「まちの広場」の草取りを行った、足の痺れ「坐骨神経痛」と整形外科と医師に、痛み止めを処方され飲んでいる。

しかし、今月の盆踊りをきれいな会場にして、町民が、気持ちよく、楽しく踊れるようにと・・・草取りをした。「ヤッパリ症状が出たか」足が痺れが酷くなった。

考えた・・・体を壊してもやることもない。しかし、誰かがやらなければ・・・???

誰かがやるだろう・・・市役所の人がやるだろう・・・私には関係がない・・・で、見てみぬ振りをする?人間が多くなった。

思いやり・情け・気配り・などが薄くなってきていると感じる事が多くなっている。

従順な人は、相手は自分にとって何であるのか・・・と。相手に気に入られることが、自分の人生の意味になってしまっているのではないか。だから相手から見捨てられたり、嫌われたりすることが耐えられない。

自分をなくすことで人生の意味を見失い、人に気に入られることが生きる意味になり、その結果、ますます自己不在になっていくという悪循環になってしまっている。

身体を壊してまで、「世のため・人のため」と尋常でない頑張りをする人は、確かに「結果を出す」確率が高い。

会社勤めでは、出した業績に対して評価するので、高いボーナスを支給することもある。それでも、こういった人は「なりたいロールモデル」と必ずしも見なされない。人並み外れた頑張りをすることで結果を出している人や、血のにじむ努力をし続けている人を、実業家は「ヒーロー」とは言わない。

「普通にできる努力で結果を出している人」が理想的であるが・・・

普通の人間ができる範疇を超えた努力で結果を出している人は、一時は好調に見えるが、しばらくすると身体を壊して破綻するケースが多い。結局、家族や周りに迷惑をかけてしまう。

世間では、どういう人を「理想」だと思うのか? それは、普通の人間ができる範囲内の努力をして結果を出している人である。