心静かに「幸せ」とはを考える
アベノミクスで、経済成長をさせデフレ経済から脱却しなければならないと、言っても・・・“いじめ”はなくらない。円安で輸出企業は地益が出たと言うが、給料に還元されるのは、タイムラフがあるから・・・景気がよくなったとの実感できないとか・・・
ただ、為替相場と株価が上がった・下がったのニュース報道があるだけで、一般庶民には、それがどうした・・・である。専門家でも、グローバル化した経済では、株価の乱高下も投資家は、情勢を見定められない状況だ。
「社会のスピードの速さにもついていけなくて」という人もいる。技術革新・社会の仕組み、人々の価値観いずれも変化の速度が早いからである。
「どうして経済は成長し続けなければいけないのか」、との問いに対して正確な答えがあるだろうか・・・成長・発展・進歩について、疑問をもつことをはばかる風潮さえあるから、答えをだすことすらタブーなのか・・・
ストレスの解消策というか、癒しという言葉が流行語のように用いられる。せかされて。あせらされて。息が詰まりそう。忙しすぎて、さまざまな重圧に耐えかねて何故、という問いかけの余裕すら許されない時代なのか?スローライフという生き方を考える人もいるが・・・
大人たちに問いかける⇒⇒⇒「子供たちは、成績もよく、よい子でがんばらなければほんとうにいけないのでしょうか」。「・・・でなければならない」ということが子供たちにとって重荷に感じてくる。
義務感が精神的圧迫となり葛藤が生じる。心身の疲れにつながり、いじめ、ひきこもり、登校拒否になってしまうのではないでしょうか?
「幸せ」とはを、心静かに考える・・・