一人ひとり環境意識を・・・

修行が足りない 町の汚れを嘆き、ゴミ拾いのボランティアをしても心が晴れない。ボランティアの取り組む心に迷いがあります。

ボランティア活動をするときの取り組む姿勢で、必要なことは何だろうか? 私は町に住む人間が、『「安心・安全・気持ちよく過ごせる町」であるよう感じ、住んで良かったと思える町に・・・と』また、自分自身の修行だとの思っています。

しかし、毎日行っているゴミ拾いで、捨てられているゴミの量は、一向に減らないのです。注意看板を取り付けて、マナー向上を訴えていますが、思うように成果は出ません。

町をきれいにするには、一人ひとりの心がけだと思います。一人の人が一個のゴミを捨てても100人で百個のゴミになるのです。

人間は、環境に馴染む、町が汚れていても、時間が経つと慣れて、気にならなくなるものです。「これが普通」と思い込んでしまうのでしょう。異常=普通=通常と認識してしまうでしょう。

例えば横断信号などの交差点では、そこにタバコの吸い殻を捨てることは当たり前?と無意識に捨てる人達がいます。また一つのゴミを捨ててあるところにまた誰かが捨てるどんどん捨てて、ゴミ溜め化してしまうのです。

また、交通渋滞箇所などで植え込みに捨てて行く、ドライバーが多いのには嘆かずにはいられません。(監視カメラを取り付けて取り締まる?)

ボランティア活動に取組む姿勢で必要なことはひとことで言うと裏方に徹すると言うことだと心がけていますが、私がゴミ拾いをしている前に捨てていく人がいます。

その時にかける声は、感情的なってしまうことに反省していますが、『やってあげている』的なふるまいをしてしまうのです。

何の為にボランティアをやっているのか?自己満足のためなのか?考えてしまうことあるのです。しかし、私の行為を誰かが見ています。そしてその行為に「ありがとうございます・ご苦労さま」と声をかけてくれるひとがいることです。

昨日、町の人に声をかけられました。「あなたは、よくゴミ拾いをしている姿を見かけますが、ボランティアで、ゴミ拾いしているのですか?」・・・と。「ハイそうです。自主的にしていて、市などから、から委託されて行っていません」と返事いたしました。

「ゴミを捨てない、ゴミがあったら拾う」心がけが大事なのです。子どもの情操豊かで、人に優しい人間が育つ環境が大切といわれます。いま自己中心的な大人が多くなったと言われています。大人の一人ひとりが、環境意識をもう一度見直して欲しいと思っています。