人生は一生修行

むかし父親が「今日はいい日を送った。」と呟いた。どういうことか聞いたところ、「車にひかれそうになった。」命拾いをしたというにです。・・・ちょとした不注意で命を落すことがあるのです。こんな経験は誰でも一回や二回は経験はあると思います。

注意していても、予知できない事もあります。歩道を歩いていて、突然車が登校途中の小学生の列に、突っ込んできて大きな事故に遭ったり、飛行機事故や、船の事故そして、地震や台風などなど・・・生きていて、絶対安全なんてないのです。

そして、人生には浮き沈みがあります。

災難に遭遇することや、大切な人を失い失意に打ちひしがれること、失業の憂き目にあったり 将来に不安を感じること、失恋し酷く落ち込んでしまうことなど、自分をとりまく環境が激変することもあります。ややもすると自分を見失う危険もあるのです。

人はなんのために生まれてきて、なんのために生きているのだろうか、 執着による迷いの人生から、生き甲斐が感じられる人生へと自覚したいものです。

人生が一瞬の儚いものです。何となく一日をおくりをしているとすぐに老いてしまいます。 長寿の人であっても振り返ればほんの短い時の流れであったと思うでしょう。

若くして命尽きた人はなおさらですが、人生はほんの一瞬かも知れません。 時に喜び、時に嘆き悲しむ、今のこの時を しっかりと我がものとして、過ごしているでしょうか、 時の流れに流されて 無為にすごしていないでしょうか、いずれにしても、時を戻すことはできないのです。

人生の幸福は、困難に出会い克服することだと言う人がいます。 苦悩ほど人間の骨を刻り、肉を裂くものはない、 しかし、 この苦悩を乗り越えて生きるところで人格の高まりがあるということでしょう。

また人生、一生修行であり、そういった苦悩を乗り越える努力することで、人生の幸不幸の分岐点となるのだと思います。

修行・・・悟りをめざして心身浄化を習い修めること。

悟り・・・物事の真の意味を知ること。