知識は武器になる

博識のある人は、ものごとに動じない。しかし、博学多識でも披露好きな人世の中には多いです。単にそこかしこから知識を寄せ集めて、さも得意気にその知識をみんなにお披露目するんです。

「たくさん知識を詰め込んだ人の勝利」と言わんばかりに・・・知識は不要だと言っているのではありません。というよりも必要だと思っています。

知識が単なるその場限りの詰め込みになり、その人が何一つ自分のものにもなっていないのに得意気に話しているのを耳にすると、その得意さ故に余計にうすっぺらく感じてしまうんです。

知識を真に自分のものにできている人は多くを語らなくても、それは自然に溢れでてくるもののような気がします。

分かりにくい専門用語やカタカナの専門用語を言葉を覚えたての子どものように口にしていながら、何一つ真に自分のものにできていなくて、言葉遊びで終始していては寂しいことです。

知識は自分が強く生きていくための武器ではあっても、人に“ひけらかす”て得意になるための武器ではないと思います。

物事に、冷静に的確判断ができる人・・・口車で詐欺などに合わない。人から信用される。などの人と思います。