脚下照顧・・・

脚下照顧とは自分の足もとをよく見よということで、自分の立っているところがわからなければ・・・他に向って何も言うことはできない。

現代日本人は、概して外へ向かっての観察は得意ですが、内に向かって自己を観察することは苦手のようです。我まま勝手は、周りに迷惑を及ぼすだけであり、自分に厳しく自己調整ができていることが大事であるということです。

人間の心には、「善」と「悪」が同居しています。調整された自分とは「善の心」であり、「善の心」が「悪の心」を抑えて生きるこそ望ましいこです。

ちょっとぐらいはいいだろうと、軽い気持ちで悪いことをしていると、しだいに悪の道にのめり込んでしまいます。悪いことと認識しながらも、もう悪に染まってしまったのだから、もう引き返せないと、さらに悪を重ね、悔い改めることがなく、前後の判断もせず、気の向くままに成り行きのままに、悪行を重ねる人がいます。

幼き子の行動ならば善悪を問われないけれど、青少年になると善悪の認識ができる能力があるとみなされます。15歳とか18歳、成人した大人、年齢によって悪事は法的に処置されます。しかし犯罪をおかす人の素地は幼き頃よりできあがっているのです。

最近道徳教育が、文部科学省などで取り沙汰されています。いじめ・万引・ひったくり行為などが後を絶ちません。更に、社会生活におけるモラルやマナーが社会問題となっています。

大事なのは、物心がつくまでの幼き頃に、親は子に善悪の見極めをすることを教え始めるべきです。幼子の時に善いことであるか、悪しきことであるかを教えなければ、善し悪しの認識のもとに行動できる人に育っていかない。

親が子に善悪の認識が大事であることを教えないと、その子は不幸になっていくことになるのです。また親の悪行を見て育った子が悪事をはたらくと、二代にわたって繰り返されることになり、それこそ不幸なことです。

また日本人の文化である「恥」ということについて、躾として親が子に教えなくなったことも、現代人の善悪についてのあやふやな認識と関係があると思います。