「面倒くさい」では済まされない


東京地方に、2週続けて大雪に見舞われました。農家の野菜のプレハブ・ハウスや車庫などが壊れてしまうほどの被害がありました。八王子市では60センチ?という人も・・・記録的な降雪量も、道路などは、ようやっと消えてきました。

昨日は3月中旬の陽気となり、散歩も久しぶりに出かけたのですが、気がついたのが、ペットボトル・空き缶・タバコの吸い殻など・・・ゴミが雪が溶けて現れたのです。

早速家に戻り、鋏みと袋を持ち出し、ゴミ拾いを2時間かけて、歩道・湯殿川の河川管理通路など私の住む町内を廻り、500リットル袋2つになりました。

私がゴミ拾いしている姿を見て、「ご苦労さん」と声をかけてくれる人もいれば、「町会の役員はたいへね・・・」と過ぎ去って行く若夫婦の声を聞きました。

「私たちの住む町は、私たちで守ろう」・「犬の糞は飼い主が始末を」「ゴミのポイ捨て禁止」などのポスターをはって注意を喚起していますが、一向にゴミ捨ては減りません。

雪の中に棄てれば、分からないだろう、植え込みの中に棄てれば・・・川に捨てれば流れてしまうから・・・捨てる人は、タバコの吸い殻ぐらいいいだろう・・・無意識の人は道路・公園など棄てるのはあたりまえ?と考えているとしか思えません。

明るく住みよい町、住んで良かったと思えるの町にするには、あなた自身です。「人」に「環境」に優しい心に余裕を持って欲しいです。

最近思うのが、自己中心主義?・・・何かにつけて二言めには「それは私には関係ない、関係ない」とよく言います。自分と他人の間に垣根を作り「自分は自分。他人は他人」というような生き方のことです。

人は環境に慣れてしまう・・・結果的には恐ろしいことになってしまうことを考えたくないものです。いま、PM2.5原発など「いのち」の関わる重大なことでも、注意予報だしたり、除染する?だけでは、根本的な解決策ではなく、元を断たなきゃダメなのです。

ゴミを無意識に捨てる・・・誰かが拾えばいい?人任せでは・・・自分自身の「いのち」関わってくるのです。「面倒臭い」では済まされないのです。

他人を苦しめることは自分も同時に苦しむ、ということに気づいていない人が多いようです。他人を苦しめると必ず自分に苦しみが返ってくる、悩み苦しみの原因をつくっているのは他ならない自分であることに気づくべきです。