地域住民きめ細かいふれあい

少子高齢化核家族化で、私の住む地域も、私を含めお年よりばかりになっています。そして50歳になっても、いろいろ理由があって?未婚の長男の方がいます。

旦那さんが突然急病に…

ベットから起きられない…歩けない……どうしよう…長男は仕事でいない…親戚は遠い…救急車を呼ぶ?慌ててしまう。という事が実際に起きたのです。

車椅子で近くの掛かりつけ医院に連れて行きたいとのことで近所の方から頼まれ、(私の住む地域は、近所のコミニティーは良い方だと思います)駆けつけ、何んとか車椅子乗せることが出来ました。

しかし玄関に降ろすのに、もう1人の力を借りなければ降ろせないので、私の妻を呼び寄せ、やっとの思いで降ろしました。

車椅子の介助で知るバリヤーフリー必要性

300メートルまでの医院に行くまでが大変でした。砂利道・歩道の段差です。もちろん家のなかでも同じですが、道路が砂利道では二人の介助がなければ移動できません。

そして、一般道路(都道)で車道では、車が怖くて車椅子は歩けません。歩道を歩いたのですが、途中に変則急勾配の箇所があり、車椅子1人で押していて、車道側に倒れそうで、二人がかりでどうにか通りぬけることが出来ました。

家の中のバリヤフリー問題は個人の問題ですが、砂利道は私道ですので、私たち利用者の問題かもしれません。問題なのは一般道路(都道)です。以前に近所の方から相談を受けたのですが……

国土交通省都道管理者に、今回の経験を話し改善を検討依頼しました。近日中に当該地を見て頂くことを約束していただきました。

高齢化社会での不安を助け合いの精神で…

地方の少子高齢化が話題になっていますが、私の地域も、少子高齢化核家族化…超が付く高齢化…と1人暮らし・空き家の自然現象?が起きています。住んでいて不安を解消するには、日ごろの近所付き合いが大事と思います。不安…を助け合いの精神でカバーすることです。

地域経済の新陳代謝が取り上げられていますが、住む人が案心・安全に暮らし続けるには、若い人が働く場所があるということが基本ですが、現状はベットタウンとしての町であるのです。日中はお年よりの町になるので、地震や自然災害に対する心構えも大事なことだと思います。

そして、地域住民(近所)のきめ細かいふれあいを尚一層進めなければと…思います。

挨拶をしよう


「先に」「笑顔で」「元気よく」挨拶をしよう。

子どもたちに…

子どもの「将来」を考えると“人生を生きていく上での基本”がとても大事です。

「今」を是正し、躾けてあげるのはもちろん大事。それは、子どもの「将来・未来」を考えるからこそです。 「今」ではなく、「将来・未来」です。

挨拶は人間が生きる基本です。挨拶することで明るく気持ちの良い一日を過ごせるのです。そのことを躾けることが大切です。

大人はいつまでも子どもの傍についていてあげられません。子どもも小学校、中学校、高等学校、大学、社会と進学や就職で親元を離れれる時がすぐに訪れるでしょう。

社会人に…

社会生活を営んでいる私たちの暮らしは、ほんの少しの思いやりや気配りを行うだけで随分気持ちのよい毎日が過ごせるのです。

人間社会…今、グローバリゼイションが進んだ社会です。観光地などは、外国人に、出会う人たちが多くなってきています。トラブルも起こる確率が高くなるかもしれませんが、そこは見方を変えて逆の発想をしてみましょう。

私たちが気持ちのよい応対をすれば、出会う人たちも気持ち良く一日を過ごすことができるのです。それほど難しいことではないと思います。

「迷惑をかけない」という守りの姿勢ではなく、「相手に気持ちのよい一日を送ってもらおう」という積極的な姿勢に挨拶することです。

挨拶をされて気分が悪いという人はいません。それが、知らない人でも、挨拶されて、一日が気持ちよく過ごせるような気がします。特に小学生などに挨拶されると嬉しくなり、大きな声で返事をします。

家の近くで見たことのない人、知らない人に声を掛けることで、犯罪が少なくなると言われています。顔を見られて犯行を諦めてしまうそうです。

感性を豊かに…


感性の豊かな人…

自分の目に映る状況に敏感に気づき、その真の意味を理解し感動して、適切な行動をするようになります。感性の豊かな人は、自分と他人を幸せにします。

感性を豊かに身につけるためには、相手の言うことばをよく聞き、物事を心の目で深く見ることです。

何を聞いても、何を見ても何も感じない人は感性があるとは言えません。そして感じたこと、見たことに対する反応を即座に示さなければなりません。その心の反応を実践することです。

行為のない感動はなかったと同じであり、それは、聞かなかったと同じであり、何も見ていなかったことになります。持っている感性を正しく用いれば、感性は、自分を成長させる要素であり、そして他人をも成長させる要素でもあります。

そして感性は人が幸せになるための大切な土台に数えることができます。感性の豊かな人は、愛にあふれた人と言われるでしょう。

誰でも感性のある人と評価されたいと望んでいます。ところが感性のある人は、そう多くはないのです。そのために、感性に富んだ人は、多くの人から親しまれ、多くの人が寄り添ってきます。

感性の豊かな人は、いつも親切であり、人々から感謝されます。そして、自分の目に映る状況に敏感に気づき、その真の意味を理解し感動して、適切な行動をするようになります。

感性を豊かに身につけるためには、相手の言うことばをよく聞き、物事を心の目で深く見ることです。感性の豊かな人は、愛にあふれた人と言えるのではないでしょうか。

幸せに生きている人、楽しく生きている人は、まぎれもなく感性の豊かな人であり、日々、感せを磨くことを大切にしている人です。

夕日を眺めて


夕日を眺めて思いました。

何もかもが平穏で、穏やかで、大自然の中に生かされている…この情景を感じ取ることができることこそが…私にとって「最高の幸せ」なことです。

周りの自然の情景に溶け込んだ時、全てが無心でそして穏やかです。「このような時間がいつまでも続いたらいいなぁー」とその時思いました。

人は、それぞれが自分の幸せ感じることができます。何でもない日常で心穏やかな時間を見つけることができれば、それが最高の幸せなことです。

もちろん、人生ですから地獄を見ることもありますが、今を一生懸命無心で生きていれば、誰でもこのような心の平穏を得られる瞬間があるのだと…そしてそのような時間を大切にしたいものです。

いつも平穏な心でいたいと、誰もが思っているでしょう。しかし、人間は社会的動物であり、周囲との関わり無しでは生きていけません。ストレスを感じ、心が乱れることは日常茶飯事だと思います。

その都度感情をあらわにして、周りと接してしまうと、良いことはありません。相手を攻撃すると、必ず報復が来ます。さらに報復する…泥沼にはまっていきます。

平穏な心とは、周りを変えようとするのではなく、自分を律することで得られるものだということです。

諸行無常…

今年も師走になった、時の過ぎゆくのがなんと早いことかと感じるのも、年の瀬です。

私も…いつのまにか、こんなに歳をとってしまったと…想いです。来春には、また一つ歳を重ねることになると嘆いてみてもしかたのないことですが…時の流れが止まらないように、すべてのものは同じ状態を止めることはありません。

諸行無常

平家物語り冒頭…祇園虗舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ…があります。

この世に存在するすべてのものは、因(直接的な原因)と縁(因がどのような方向にいくかがきまる条件)によって成り立っているといわれます。

たとえば、植物の種を蒔くことを考えてみますと…種はやがて発芽し、成長して花を咲かせて実をつけることでしょう。この場合、発芽の直接原因(因)ですが、周りに十分な土、栄養、水分という条件(縁)があって初めて発芽するのです。

その種を蒔いた人はやがてその実を収穫して食べることができるかもしれませんが、無事に実がなる為には、種を蒔くという直接的な原因だけでなく、まず種が発芽するという条件(縁)がなければなりません。そしてあらゆる縁があって実がなるのです。

このように、この世にあるものは、すべてお互いに因となったり縁となったりして成り立っています。すべては因と縁によるものですから、その因や縁が変われば必然的に滅するものもあり、また生ずるものもあるのです。この世のすべてが移ろい行くのは、すべての存在がつながりあい、支えあっているからなのです。

20014の漢字一文字は「税」…発表されました。

他人を大切にする心…

今日12/10は、人権宣言デ-です。

「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」…「世界人権宣言」が、1948(昭和23)年のこの日、パリで行われた第3回国連総会で採択されました。それを記念して1950(昭和25)年の国連総会で記念日になりました。

「他人を大切に思う心が自分が幸せになれる。」と私は思っています。

元NHKアナウサ−鈴木健二さん「ふれあう心一日一訓」から…

○・・・自分の心を、相手を思う気持ちで満杯に…

相手の気持ちを考え、自分の心を押し殺し、相手のことを思いやる気持ちでいっぱいに包み込まないと、やさしい心は育ちません。

そのためには、自らが、ゆとりを持ち幸せ感を感じていないと、他人を思いやる気持ちにはなかなかなれないものです。

「衣食足りて礼節を知る」というように、自分の気持ちが一番です。「お母さんが病気で寝ているのでとか、忙しそうなので夕飯の準備をしてあげよう。」

「お父さんが夜勤で疲れて帰ってくるとか、旅先から帰ってくるので風呂の準備してあげとこう。」などは、自分にゆとりがないときは考えられません。

やさしい心をもつには「愛の心」の存在が有るかないかです。「相手の気持ちを考えなさい」と、口を酸っぱく言ったところで、せかせか慌てふためいている人には通用しません。 慌てふためく何かが、心を占領しているからなのです。

○・・・やさしさには「愛」の心が…

やさしい人間を育てるには、その人に「愛」をささげる心がなくてはならないのです。 人に「愛」がなくなったときに殺人事件が始まり悲劇が起こるのです。

○・・・地球にも愛情を…

地球環境問題も同じです。地球あっての人間なのですから、環境破壊についても関心を持たなくてはいけないのです。地球は動植物全ての物です。

人間だけの物でないことを肝に銘じて毎日の生活をする必要があります。思いやりの心は、小さなところから考えていかなくては、この世の中暮らしにくくなるばかりです。

自分さえ良ければ、という自分勝手な考えでは、生きていけないことを幼少時代から教えこまなくてはいけないのです。

地球上の全ての物に「愛情」を持って暮らしましょう。

今を一生懸命生きる

生きていく過程で、いろいろな事が起こります。すべてが原因があって結果があるのです。良い種を蒔くと良い花が咲きます。そして悪い種を蒔くと悪い花が咲きます。

「現在を一生懸命生きる」

過去がなければ、今の存在ありません。過去に一生懸命になったことが、今の自分に反映されているのです。すなわち、今の自分は、過去に自分が頑張った結果です。

過去に一生懸命に勉強したことが、今につながっています。何年か前に出会った人と、今は友人や親友になっています。

誰でも、今は過去が土台になっています。それが、今に反映されています。今一生懸命にしていることは、必ず未来の自分につながるのです。

私たちは、常に今しか生きていません。今は未来の土台になっていますから、未来のために今できることと言えば「一生懸命に今を生きる」、それしかありません。

現在…過去と未来の間

過去から未来へと移り行く…今…「数千年の時を経て現在にに至っています。その「今」を一生懸命生きることです。

もっとお金持ちの家に生まれてきたら人生変わっていた?…もっと環境の良いところで生まれていたら…と思ったことがありますが、ありのままの現実で生きるしかないのです。そして現在を、未来に向けて少しでも納得できる生活を信じて一生懸命生きることです。

過去に囚われない、今を生きる考え方…

人はしばしば、自分の過去の失敗や屈辱、あるいは過去の栄光にとらわれて生きています。過去にとらわれて現在を見ることができず、未来に向かって進むことができない人も、少なくありません。

過去の思い出を大切にするのは良いことですが、過去の失敗や栄光にとらわれて生きると、力強い人生を歩むことはできません。