地球環境を考える

最近の台風などの豪雨で、気象庁が発表する「何十年ぶりの大雨」「記録的な大雨」「記録的短時間大雨情報」など表現が増えてきています。
人間の勝手な仕業で、地球の環境が破壊され来ているのです。地球温暖化で、北極の氷山が溶けて海面上昇で小さな島国が、沈没の危機にがあるのです。
地球環境を守る必要性
地球を汚してしまうと悪環境に適応出来る人のみ生存出来、体の弱い人や赤ちゃん等は生存出来なくなるでしょう。宇宙の中でも地球は生物の存在できる奇跡の星です。汚してはいけない星なのです。誰でも生存出来る星で在り続ける事が人類の未来に必要です。
地球環境を守りましょう。「そんなこと言ったって、私一人が気を付けたって…どうにもなるわけではない」という人がいます。
私たちの環境の「SOS地球を守ろう」…地球から発しています。
「地球環境問題」は、決して遠い国の話ではありません。私たちの生活が原因で発生し、変化に気付いたときには手遅れになっている可能性もある、身近な問題なのです。
子供たちが大人になったとき、あるいは大人の方は、子どもたちが大人になったときに…これからもずっと緑が沢山あり、魚や昆虫などの生物いる「まち」にするために、そして、この地球でいつまでも暮らしていけるように、今、私たちにできることは何でしょうか?
家族や友だちと一緒に考えてみてください。そして、まず、自分にできることから行動をはじめましょう!
それは、地球環境を守り、将来に引き継ぐことです。国連で地球温暖化で取り上げて話し合いが行われました。地球に住む人間が、解決すべき問題なのです。
ニューヨークで開かれた国連気候変動サミットには、世界約120カ国の首脳級が出席し、温暖化対策に関する過去最大の首脳級会合となりました。
新聞各紙の社説
読売…「気候サミット 日本の知見を途上国の対策に」
日…「気象サミット 新枠組みの交渉加速を」

規範意識を考える


子どもの成長時に規範意識を、身に付け成人になることが大切です。

モラル・ルールと言うと日本人は、世界的に見ても評判がいい…と言われています。しかし、公園や広場・道路などにゴミのが捨ててあったり、自転車の運転などのマナー・ルールが守れていないことで、環境や安全などに問題が起きていると実感しています。

ルール・マナーを守るということは、家庭の躾が大事だと言われています。子供の成長と共に行動範囲も広がって行きます。それと同時に社会の規範・責任が問われてきます。

良し悪し判断が出来ないままの大人になってしまったら…憂いています。朝、公園・広場に行きますと、ゴミの散乱で、困っています。子供会のお母さん達に実情を話、子供たちが帰った後の公園・広場をチエックしてほしい…と言っていますが…

そして、公園や広場の使い方の、ルール・マナーが守るように?遊んでいる子供たちに注意をしていますが…

たばこの吸い殻、ビールの空き缶などの捨ててあることから、大人の利用者もいるのです。子どもの成長時のしっかり規範意識をもった成人、になることが大切だと思います。良し悪しの判断が出来ないままの大人になってしまったら…憂いています。

世の中の人、各々が自分の考える”常識”があるのだと思いますが、それにしても最近はずれた人が増えたような気がします。かと言って自分の”常識”が正しいとも言い切れないませんが…

ただ昔に比べて、人と関わる機会が減ったというか、関わらずとも生活できるようになると、他人を気にする必要もなくなってきています。

寂しくなればネットなどで、自分の都合の良い仲間を見つけ、都合が悪くなれば切り捨てる?こんな集団生活に向かない人が増えると、何が常識で何が道徳なのかわからなくなってくると思います。

唯一有効なのは法律ですが、法律だけではすみやすい社会になりません。これも個人主義の弊害なのかもしれないと思います。

昔のようにめんどくさいながらも、人とつながっていたころの方が、知識ではなく本来の意味での見聞が広まり、他人がどう考えるかを、感じながら生活できました。そんな生活こそが思いやりや、マナーを根付かしたのではないでしょうか…

これからの葬儀事情


「日本人と仏教」

古来から先祖を祭る仏教の伝統文化・風習などが引き継がれてきたものですが、少子高齢化・人口減少で、先祖の「墓を守る」ことが出来ない…(家)人が出てきて問題となっているようです。

お寺の事情も檀家の減少後継者いない…などで、経営が難しくなって廃寺とならざるを得ないというお寺もでてきているという。

日本は統計的にみて約8470万人が仏教徒であり 、全世界で3億数千万人程度が仏教徒とされていることを考慮しても、やはり一大仏教国である。約7万5000の寺院がある。(ウキぺでィア)

墓を守るとは…定期的に行って、掃除などの管理する。お寺に檀家料など経費を支払い、お寺の維持費などを支払う。

昨夜あるテレビニュース番組で、「墓じまい」という特集があった。

墓をどうするか…東京都で管理している「樹木葬」など人気が出ていているようです。私も、何か年代的に近づいているせいか、興味を持ってみました。粉骨にして、散骨・海洋散骨、樹木散骨などがあるということです。

毎年先祖代々の墓を守ることが不可能となり「墓じまい」するというものです。後継者いないでお寺や周りの人に迷惑かけるとの理由だそうです。

知恵蔵miniの解説より・・・

「墓じまい」とは…墓を撤去したり処分したりすること。墓参りをするのが困難、墓参りをする人がいなくなるといった場合に、墓の管理者(近親者など)が行う。

墓じまいをした後は、「近所に新しい墓を購入する」「納骨堂を購入する(永代供養)」「散骨・自然葬をする」「自宅供養をする」など、様々な供養の方法がある。

少子高齢化の進展により、後々墓参りをする人がいなくなるケースが増えており、それに伴い墓じまいも増えている。墓じまいをするには、墓地埋葬法で定められた手続きが必要であり、また寺院や霊園との折衝、墓石店への依頼などの障壁がある。

墓のある寺から高額な「離檀料」を求められるなどトラブルに発展することもある。2014年現在、墓じまいを代行する業者が多数存在しており、墓じまい相談会なども行われている。(知恵蔵 )

散骨…東京湾の船上にお坊さんと家族が乗り先祖のお骨を海に撒くという光景を見て、これからの葬儀・お寺の在り方など多くを考えさせられました。

防災の日に…

今日は、2014年(平成26年)9月1日(月)。防災の日です。

立春から数えて210日目で1923年(大正12年関東大震災があり、この日を「防災の日」としております。

むかし親父から関東大震災に遭った時のことを興味深く聞いた覚えがあります。生まれが農家であって、この時季は稲が開花・結実する大事なときだということも聞かされました。水管理と、台風の襲来で、稲のが被害をどう防ぐかを母と話していた記憶があります。

二百十日は伊勢の船乗りたちが長年の経験によって凶日としたといわれていて、雑節として暦に記載されたのは江戸時代で、八十八夜とほぼ同じ頃です。先人たちの経験に基づいた生活の知恵が暦となっているのです。

未曽有の被害

日本大震災は2011年(平成23年)3月11日が発生し多くの犠牲者を出し、原発に伴う被害は、いまだに仮設住宅を余儀なくされている人、たくさんいる状況です。

原発事故で、電力の3分の1を作り出していた、54か所の日本の原子力発電所は全てストップしました。放射能の恐ろしさを、まざまざ知らされた思いです。

エネルギー問題は、経済成長には欠かせない最重要問題です。原発再稼働の論議は続くかと思いますが、環境問題と絡み将来の課題だと思います。

「首都直下型地震が発生する確率は30年以内に70%!」

政府の中央防災会議の作業部会が公表した被害想定は、最も被害が大きくなる「都心南部直下地震」をはじめ、様々な震源マグニチュード(M)7級の地震によって、首都圏が最大震度7の激しい揺れに襲われることを示しました。

「30年以内に70%」と切迫する首都直下地震の想定を冷静に受け止め、防災・減災に生かすことが重要です。これには日ごろの訓練と心がけが大事だと思います。

しかし、地震以外にも、水害・土砂など災害は起こります。最近は、地球温暖化、無秩序な開発、などで従来の想定しがたい災害が相次いで起きています。天災とも人災ともつかない災害が起きているようで仕方がないのです。

町会で防災訓練を計画しても参加者が少ないのです。自分は大丈夫ということはありません。自分はもとより、家族・近隣、地域の安全はみんなで守るということが大切なことです。

「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ではありませんが、今日の「防災の日」を地域の一人ひとり、いつ起きても最少被害でとどめる…改めて考えておくことが大切です。

仕事と社会貢献


「仕事」とは…事業を通じ己を磨き、世に貢献すること。これが人が働く目的です。
仕事と報酬…他人・社会のために尽くし…その代価(報酬)です。その代価で生活維持する手段…人間社会を構成しています。生きるための手段です。
仕事がなくても生きられるかもしれませんが、人というのは社会の中で自分の役割を見つけないと生きづらいものだと思います。やはり自分にしか出来ないことがあったり、人に喜んでもらえたりすると、生きる自信が持てます。
「お金のため」「食べるため」に仕事をするだけでなく、「自分の夢」・「目標を実現」するために手段に仕事があるのです。
仕事を通してやろうとしていることは、人に生きていることの躍動を存分に感じてもらい、新しい価値観や生き方を伝えたり、仕事を通して人と触れ合い、世の中について語り合ったり、社会の一部になって動いていることを常に意識することが大切です。
「世の中」とは…生死を超えた生かしあいの世界です。だから、この世に生まれてきたすべての人間は、生かしあうために生まれてきた。生きるとは、生かしあうことです。人はだれでもたった一人です、けれども一人では生きていけません。多くの他人(ひと)とともに生きるから人は生きていけるのです。
生かしあいのために自分も「世の中」に必要とされている。それで自分が他人に必要とされるに値する人であるかどうかが問われます。したがって自分しかできないこと、そういう能力を身につけるべきです。
「世の中」が自分を必要としている。そのために自分に何(仕事)ができるのか、そこが大切なところでしょう。だから世の中に必要とされる自分であるべきです。そのために仕事を通じ、向上心を鼓舞して自己の人格を高める努力を日々怠らないことです。
仕事を通じ社会に貢献
仕事…働き方」は、お金を基準とした物の考え方でなく、社会に貢献している…そして「何のために生きているのか」・「何のために働くのか」という自己の存在意義を考え、社会に貢献できる生き方・働き方が求めるということが大切だと思います。

規範意識ということ

規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のことで、遵法精神ともいう。

日本人の規範意識が低下が問題になっていますが、規範意識を「高める」には、それぞれ地方自冶体の教育委員会で目標などを決めているようです。

八王子市の教員会で教育委員会の目標で決めれています。スローガン…『あふれる元気・かがやく心・仲間とともに・はばたけ未来へ』です。

八王子市教育委員会は、学校教育と社会教育の密接な連携のもと、子どもたちが自分らしさを発揮し、未来に対して夢をもって生きることのできる社会と、すべての市民が生涯にわたって心豊かな人生を送るための生涯学習社会の実現を目指しすというものです。

子どもたちが、知性、感性、道徳心や体力を育み、人間性豊かに成長することを願い、
•「あふれる元気」<健康な心身・活力>
心身ともに健康で、生き生きとした人
•「かがやく心」<豊かな知性と感性・個性>
自ら学び考え、知性と感性を高めようとする人
•「仲間とともに」<協調性・社会性>
互いの人格を尊重し、思いやりと規範意識のある人
•「はばたけ未来へ」<意欲・積極性>
積極的に自分を高め、社会の向上に貢献しようとする人

…育成に向けた教育を推進する。(平成14年1月23日八王子市教育委員会決定)

私の経験で考えられる大事なことですが、むかしの「うるさいおやじ」の目(注意・指導)が、最近、少なくなって、悪戯しても「叱る」「叱られる」という光景が見られなくなったということです。

子供の規範意識の教育は、家庭の躾・学校の教育だけでは高められません、「社会の実践教育」が大事なことだと思います。家庭・学校ではそれなりに規範意識あるようでも、公園・広場や公衆の場で、子供たちの遊んだ後を見て問題だと思っています。

家から持ってきた、ペットボトル・食べ物の包装紙や遊んだ道具のサッカーボール・野球のボールまで捨てて行ってしまう。そこに大人が吸ったたばこの吸い殻が捨ててあるのです。

こういう状況が20年近く続いていて、規範意識の基準が低い人たちが親になっていて、「これが普通」…社会常識になってしまう?…末恐ろしいことです。

私は子供会のお母さんたちに「子供たちの遊んだ公園・広場を見てください」…と言っているのです。もちろん私は、気が付けば「うるさいおやじ」の役目をしなければと…子供の規範意識の教育は社会一体で行うことで成果があると思います。

読売新聞社説に関連しますが社説に載っていました。

「大阪の校内人事 教員の規範意識が低すぎる」

騙す人、騙される人

猪瀬前東京都知事の5千万円の公職選挙違反の問題。小保方晴子さんのstap細胞の不正な資料作成問題。佐村河内守氏のゴーストライター騒動の問題。そして、みんな党渡辺喜美代表の8億円借り入れ問題。などなど・・・きょうは、エィピリルフールですが、笑い事では済まされないことです。
騙す人・騙される人・・・
世の中に騙す人間は相変わらず、あの手、この手の「おれおれ(お母さん助けて)詐欺」で人を騙す人間がいます。「正直者が馬鹿を見る」という諺がありますが、この言葉が世間で大きく取り上げられるようでは問題です。
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正直な人は大きく分けて二種類います。「人に正直な人」と「自分に正直な人」です。
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真に「正直な人」とはどんな人でしょうか・・・
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不細工な人には“正直”「不細工ですね」と言い、頭の悪い人は「頭悪いですね」と言いかたはどうであれ、伝えるのが真の正直な人と思います。
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これはその人にやさしさや配慮が足りないからではなく、自分の思ったことを正直に伝えいるだけですが、このような人は「口が悪い」と言われることがあっても、「正直者」と言われることはありません。
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また、「自分に正直な人」の方は「我慢ができない(正確にはしないだけですが)」と言われることはあっても「正直者」と言われることはありません。
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実際には「正直な人」よりも(嘘と正直を使い分ける人)」の方が評価が高くなりますし、中には「正直者」と呼ばれる人まで出てきます。
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結果として正直な人間ほど正直者と認識されにくく、嘘が上手くない人ほど正直者と認識されやすい。だから、「正直者が馬鹿を見る」は正しく、その構造に気づかずに正直であり続ける人もまた馬鹿だと言えるかも?